Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


オスカー・ブラッドレー博士の記し書き 3

南国の写真を見ながら、

書を書きしたためる。

くだらない小説だが、

読んでみて欲しい―。


―南国には、鳥がいる。

だが、その鳥は籠に飼われていない。

はたして、その鳥は自由なのだろうか。

南国という囲いに、飽き飽きはしてないだろうか。


極地には、渡り鳥が多いという。

ペンギンが渡れたら、

南米大陸でも苦労しないことだろう。

実際南米に渡るものもいるようだが、
はたして、この渡るという行為
本当に自由なのだろうか。


自由を考えるとき、
よく鳥という例えを使う。

籠の中では自由ではないし、
かといって、籠から出された“状態”が
自由かといったら、そうだとも限らない。

鳥とは不思議な生き物だ。
飛ぶという自由を選んだが、

他の生物に不自由しないように
飛ぶという生態系を選んだのだろう。

鳥は地に足を着くとき、
なにを思うだろうか。

はたして、自由とそうでない身の違いでも
味わうのだろうか。

鳥とは不思議である。

自由でいればこそ、飛べるのだが
その自由は、羽根に与えられたものなのか

はたまた、その鳥という生態系に与えられたもの
なのか

生物学を紐解くとき、
大抵目にするのが

“なぜその手段を選んだか”
である。


鳥は辺鄙な生き物だ。
高射砲に撃ち落されることもなく、

ミサイルに狙われることもなく、

鷹に狙われることはあれど

人間みたいに飛ぶことに制約がつかない。

寿命の短さと引き換えだろうか。

はたまた、体がそういう進化をしたら
そうなるのだろうか。


人間は必要に応じて飛ぶこと選んだ。

鳥はその必要性が常にある。

飛ぶことを選んだのに
それが自由の道か。

鳥にはおそらく分からないだろう。

飛ばない手段を選んだことなど
ないのだから。

最初の鳥が飛んでいたかは知らない。

だが、間違いなく飛ぶ手段を選んだということは
自由になる手段を選んだということだ。

ただ、それが
飛ぶ自由なのか

飛ばない自由なのか
その選択をしたのかは誰にも分からない。

つまるところ、
制約があったから飛んだのか

飛ぶことが前提だったのか
それは誰にも分からないということである。


南国の鳥は、南の島に閉じ込められる。

不思議なことに、人間もつい昔まではそうだった。

人間が海を渡り始めたのは、飛行機が出来てから。
それまでの航海は、危険を隣り合わせだった。

戦争が飛行機を生んだのか、
飛行機が戦争を誘発したのかは
分からない。

ただ、飛ぶことの自由は
今も人を魅了してやまない。

人はなぜ、飛ぶことに魅了されるので
あろうか。

人はなぜ、飛行機で飛ぶ手段を選んだのか。

それは“人間生物学”が明らかにする範疇である。


南国の鳥は、島から出ることを知らない。

もっとも、南でしか生きていけない。
もちろん、南で生きられるようにそう進化したのだから
仕方がない。

鳥になぜ飛ぶのか尋ねても、おそらく無駄だろう。

彼らは飛ぶこと前提で生まれたのだから。

人に歩く理由を聞いても分からないだろう。

あるいは、「歩くために歩いている」とも
返されそうだが。

哲学は人が生み出したものだ。

鳥に哲学など尋ねても無駄だろう。

おそらく、「なんで人間が鳥を捕えるのか
考えろ」と言われておしまいである。

さしずめ、鳥としては見ぬもの見たさに
飛ぶことにした、と言いたいのだろう。

鳥はなぜ、飛ぶのだろうか。

自由はそこに、あるのだろうか。


鳥の自由は、私たちの自由とは違う

飛ぶことは、生態的なものだとして

はたして鳥は飛ぶことについて
考えたことはあるのだろうか。


自由とは、すぐそこにあるものと
思いがちである。

ただ、根本から問い直せば
自分が自由なのであって

すぐそこに転がっているとは限らない。

根本が自由なのであって、
必ずしも自由は手に入れるものとは限らない。

―人は言う。
「鳥よ、君はなぜ飛ぶのだね?」

―鳥は答える。
「分からない。人が歩くのと一緒じゃないのか」

アバター
2013/06/23 02:31
うまくまとまったと思ったのに~w

感想それだけですか~wまぁ、いいけどww


適当に書いた割にはうまくいきましたb
感想ありがとうb


アバター
2013/06/23 00:03
…('-'*)
最後の1行が答えなんですね~♪




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