Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


オスカー・ブラッドレー博士の記し書き 5

静かな水面に、

釣り糸を浮かべる。

やがてピンピンと引く様は、

魚たちが私を求めているようだ―――。


湖で釣りをしていると、

時折魚が浮きを引く。

その引き具合のおもしろさに

釣りがやめられないのだが、

果たして湖の魚は
私のことをどう思っているの
だろうか。


日没が来た。

釣り道具をしまい、
家路につこうとする。

急に引いたが、
諦め半分もあってとっとと
切ってしまった。

残ったのは、
無残な餌と釣り針だけ。

釣り上げておけばよかったとも
思ったのだが、

あいにく様時間のほうが
大事だった。

釣りが本業ではない
からな。

歩いて帰る道すがら、
連れる子供もいれば

と思ったが

今回は気が進まず
ついて来なかった。

アウトレジャーをひとつ
できるといい。

釣りでもいいし、
トレッキングでもいいし

大人になったら狩猟でも
するといいだろう。

わが息子よ。
君はいくつになったら、

大人になるのだろうか。


湖の生き物は、
湖の中でしか暮らせない。

都会で育った子供は、
都会でしか暮らせない。

田舎で育った子供は
田舎でも暮らせるかも
しれないが、

そもそも都会に出る時は
ハンデキャップが伴う。

都心で育った子供は
それこそ都会の便利さから
離れられないし、

田舎の子供から見たら
傲慢だろと思われるのだろう。

軍人家族は、軍人になるしか
ないと思うのかもしれないし

漁師の親父は、
おそらく漁師を勧めるに違いない。

時と場所は変われど、
箱の中に入ればやることを指定される

このことに変わりはないのだろう。

流れの中では、
おそらく流れを変えられない気がするが、

箱の中では、箱の形は変えられない。

湖の中では、湖は変えられないだろうし

都会にいては、都会が見えない。

田舎にいては、それが何であるかは
容易に見えない。

港に立っていれば、
海が何であるか見えるのであって

果たして灯台から海を
覗けば、

その光景も変わるのだろうか。

港から見た光景も、
灯台から見た光景も

全部一緒くたにして
私に見せてくれないだろうか。

そんなことを考えながら、
家路についた。

子供のとき取ったものは、
いつか……

近所の悪ガキが取り返しにくる。

そう思った。


箱の中にいては箱のことが見えない、は

サイコロを振っていては
サイコロがどう出るかの法則性が見えない

というのと同じである。

同じく黒板を書いていては
勉強が進まない。

船の中にいては、
船の方向性など決められないのである。

この問いは、関係性の力学である。

引っ張られた場合、
持ちっぱなしであれば

相手と落ちるが、

離してしまえば
相手だけが落ちるのである。

相手を水面に落したければ
放せばいいし、

自分も落ちたければ
握ったままでいい―――。

さらに自分の後ろにもう一人いると、
おもしろいのだが―――

その関係性は多角関係と同じである。

AとBの関係が、Cに影響する。

あるいは、AとBの総和は、Cと比例
関係にある。

その関係はいわゆる牧師と信者の
関係だろう。

言ったことが全部信者に影響するのだ。
はたまた、言うというバイアスが
存在しないと、

そもそも関係は成り立たない。
オールドな問いだが、

この関係は西部時代から続いている。

銀行を襲う盗賊と一緒なのだ。

積み荷があるから、
盗賊に襲われる。

馬があるから、
積み荷がある。

ただ、
馬があるから
盗賊もそれで来る。

この場合
馬は盗賊のものでもあるし、

保安官のものでもあるのだ。

この場合、馬が主導権を
握ることになる。

機嫌ひとつで、襲撃を止めることも
可能なのだ。

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2013/06/24 18:52
すごっ!




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