Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


オスカー・ブラッドレー博士の記し書き 7

人は悲惨な事故
事件に直面すると
必ず思う。

神よ、なぜあんな悪魔を
遣わしたのか、と。

結論では、神は悪魔を
遣わしていない。

それどころか、
思考の段階で
助けになっている。

いくら神頼みとはいえ、
惨事をなかったことには
できないのだ。


人は悪に敏感である。

だが悪は一過性のもの
でしかない。

あるいは、
その瞬間だけのもの
だったかもしれない。

ただ、重要な事実なのは
間違いなくその瞬間は
悪に支配されていた、

ということである。

人は悪に支配されると
限りがない。

あるいは、
その瞬間だけ
周りの人までも
悪に支配されている

とも言える。

それに抵抗しようが、
抵抗しまいが

である。

関係なくとも
巻き込まれた人は
悪に支配されていた
と言えるだろう。

悪は、善(あるいは正)
との対比でもたらされるものである。

すなわち、
放っておけば極大まで
悪は拡大する、ことになる。

正はそもそも量がないもの
だからである。

対比する元が限りなく小さければ、
どこまででも拡大してしまう。

正が大きければ、
悪は小さく活動し、

正が小さければ、
悪はどこまででも
身勝手に振る舞う。

思うに、
悪はどこにでも存在する
というより、

誰の中にも存在するのだ。

それが発現しない限りは
見えないのであって

発現した場合は
はたから見たら悪の一片である。

発現しない限りは見えないので
どうにもならない。

かといって、
それがあるかどうかは
分からないのだ。

悪は水槽の中の
クラゲのようなものである。

どこにでもいってしまうし、
かといって自由にふらふら浮いているだけ
である。

もちろん、あれは生態的行動で
ちゃんと意味があるんだ

という見方もできるが
ここでは比喩なので差し置いて話を進める。

少年はクラゲを見て不思議に思うかも
しれない。

だが、大人から見れば
ふわふわ浮いているだけである。

むしろ不気味に思うかもしれない。

悪とは見方次第で、
ふわふわ浮いているものかもしれない。

俗に、

悪が浮いているのを
許さないという人も

いるのかもしれない。

ただ、その人はよく考えてほしい。

悪はただ浮いているだけであって、
特別あなたをめがけて構えているわけでは
ないのだ。

悪を摘発しようという人は、
大抵蚊帳の外の場合が多い。

蚊帳の中の人には悪に見えてなくても、
蚊帳の外からは悪に見えるのだとか。

悪がその人にめがけて向かっていない限り、
それはその人にとって悪ではないのだ。

悪でなければ摘発しようがない。
むしろ関係ない人が摘発しようと
してしまえば、

混沌は増えるばかりである。

摘発は法治機関の仕事だ。
法執行は人々に定められた
組織によって行われるべきである。

俗に
民衆の大義と法執行権のありかを
勘違いする人もいるようだが、

それは蛮勇である。

摘発しようとして
悪が生まれる場合もあれば、

摘発前は悪がなかった場合も
あり得るのだ。

摘発で悪が定められるべきではない。


悪の摘発は、法執行機関に
任せるべきだ。

民間人の立ち入るところではない。

大衆の論理で国に委託したのだから、
組織に任せられるべきである。


民衆のどこにも、悪は存在する。

組織が開かれたものであればあるほど、
その論理はより鮮明になる。

悪は隙間に入り込むのではなく、
悪は隙間にはびこるのだ。

入り込んだ瞬間を見た人はいない。

あるいは、入り込んだ隙間を見たという人は
いかんせん、悪について知り過ぎたのでは
なかろうか。

アバター
2013/06/26 20:57
お久しぶりです^^
コメント&訪問感謝です*

あんまりログインできないですが
また、よろしくお願いします^^
アバター
2013/06/26 19:46
ブログにコメント、ありがとうございます^^
とても参考になりました。


自分が何を書きたいのか、しっかり整理できるようになることから始めてみたいと思います。
そして、書いて書いて書きまくって、自分の満足のいく小説が書けたらなぁと改めて感じました^^

何か自分が忘れていたものを思い出せたような気がしました^^
それが何かは今の私じゃわかりませんが。。。


あの記事を書いて正解でした。
誰かの意見を聞くのもとても大切ですね。
本当にありがとうございました^^これからに役立てていきたいと思います。




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