オスカー・ブラッドレー博士の記し書き 8
- カテゴリ:自作小説
- 2013/06/27 16:22:18
ドーーン。
森のはずれにある、
開けた場所で銃の音は響いた。
たまの休暇に銃の試し撃ちである。
こういうのも悪くないが、
黙って見守ることにした。
知人で友人のロジャーは、
引き金を引くタイミングでちょっと間合いを
作っては、
その静寂が銃声にはじけるのを
楽しんでいた。
彼が銃が好きとは思わなかったが、
私は肩が痛くなるのでやめておく。
一回撃ったが、十分だった。
彼が今撃っているのは7.62㎜の銃で
95㎝くらいある。
大きなストックのついた、
典型的なライフル銃、である。
立って撃つには反動が大きすぎやしないか、
とも思ったが
彼は従軍経験もあり楽々撃ってみせる。
後で筋肉痛でうめくことになるのは
目に見えているが。
ライフル弾は標的を捉えたが、
何か目標に向かった場合
それを正確に捉えることは
可能なのだろうか。
時系列がなければ、
答えはNOである。
時間が進まなければ
目標には到達しない。
それが時系列を超越する目標なら、
今すぐに達成することが可能だ。
時系列を超越する目標とは、
ずばり遠大かつ公共性のある目標である。
公共のためになり、
遠大である目標は
すぐにでも「スターターチケットセット」を
購入して始めなければならない。
始めた時点で、すでに半分達成したようなものだから
そういう言い方をしているだけである。
ライフル弾が目標に到達するという例えとは
ちょっと違うが、
何か途中に障害物があったら、
はたして弾は方向を変えられてしまうのだろうか。
つぶれてしまうのであろうか。
私はこれまで、そんなに人生の大ゴール
ということを考えて目標を立てていなかった。
むしろ小ゴールの連続といってもいい。
繰り返し達成できてなおかつやめる必要のない、
そういう目標を選んだつもりだ。
何にでも共通するゴールは
身近なところに設定しやすい。
目標は遠大であったほうが
いいのだが、
“立てた時点ですでに半分達成している目標”は
その後も繰り返し目標を課しやすい目標になりやすい。
ひとえに、達成しやすい目標というのは
ベクトルが短く、全体量も小さい。
達成が到底困難で、終わりがない目標は
ベクトルが極大なのだ。
人生という枠のなかで、
遠大な目標でありつづけることが
できる。
目標というのはさしずめ、
得られるスカラー(量的物量)ではなく
そのベクトルの大きさ(質的移動量)で
決められるべきである。
つまり、遠大で公共性の高い目標ほど
いいのであって、
自分の欲に捉われた目標は
そういったものにはなり得ない。
遠大で公共性が高い目標とは、
貧困をなくすとか
戦争をなくすとか
そういったことの類である。
ベクトルが極大ということは、
叶えるのには時間がかかるが
地球レベルで見れば極端に利益が
大きいことである。
つまり、地球がアリの巣だったら
一匹のアリがその巣のために献身・貢献
することを指す。
もし地球がサバナだったら、
そのアリが生態系全体に貢献することを指す。
アリ自身はそう大した貢献法を思いつかないかも
しれないが、
実際十分な貢献ができた場合は
アリはすでにアリを超越している。
本題は、そっちのほうが
次元には貢献しているのではないか、
というものである。
人間が欲に捉われるときりがない。
だがその欲を、
限りなく大きくして
地球レベルにまで引き上げるならば、
間違いなく一人一人が
地球・世界に貢献できる。
そういう日が来るのも
そう遠くはない。
ライフルの話に入って
アリの話が出口になったが、
私の父は戦争一色だったように思う。
というのも、アリと銃が結びつくのは
戦争だけだからである。
そういった戦争に従軍して意味があったかは
分からない。
父はそんなひどい現地部隊には配属されなかったが
戦争のしんどさは直に感じたようだ。
兵隊は働きアリのように使い回されて、
ライフル弾のように撃ち込まれる。
あとでどうなろうが、
政府は知ったこっちゃない。
公の論理に勝つには、
それこそ大衆の力が必要だ。
だが、東アジアの国のように
大衆が腐敗しきっていてはどうにもならない。
もっとも、民主主義が浸透しきってないし
まだ日にちも立ってないからしょうがないとも
言える。
だが、大衆が腐敗しては
シビリアンなんとかという
コントロールも利きようがないのである。
(現に東アジアの一国は
軍事予算に膨大な量を割いているし、
はたまたその隣国は増強に余念がない)
戦争がなんたるかを知ってもらってから、
それでもやりたいというのであれば
防衛費を強化するがよかろう。
そうでもなくただ強化一線であれば
当然腐敗の温床にある。
アジアの民は勤勉だとも言われるが、
学習能力がなければ結局は頭のない
アリと言わざるを得ない。
アリはアリのままでは
何もできないのだ。
そうでないためにも
サバナ、いや
地球規模の考えが必要なのである。
そうなんですか!
一番時代が新しい方が正確な情報が書かれているかと・・・。
何でもかんでも新しいものが正確、という訳じゃないんですね^^
夏休みに図書館に行って、古典、読んでみたいと思います!
たくさんのことを教えていただき、ありがとうございます♪
私は小説を読むのも好きなので、時間に余裕がある時には小説を読んでいます。
alfonceさんや、他に記事にコメントをいただいた方も、本を読むのはいいことだということを教えていただいたので、これからもどんどん読んで、いろんな情報を取り入れていきたいと思っています。
古典を読むというのは...少し難しそうに聞こえるのですが、
どのように読めばいいのでしょうか^^;←