Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


オスカー・ブラッドレー博士の記し書き9

戦争とは、
思うに狂気と恐怖である。

戦争に死にもの狂いで行き、
決して無事に帰ってくることはないのだ。

得られるものは、戦傷と勲章しかない。
だれもリゾート行きのチケットなんか、
手に入れる奴はいない。

父親はよく
「戦争はパーティーだ、祭りだよ」
と言っていた。

当の兵士は、
そんな心づもりじゃないと
やっていけなかったのだろう。

戦争はパーティーではない。
だが、発散されるエネルギーと
神経物質を考えた場合、

間違いなくパーティー以上の狂気が
そこにあるのは確かだ。

恐怖は狂気を生む。
だが、狂気は恐怖につながらない。

恐怖か狂気。
この二つしかない。

戦闘かレイプ。
それ以外の要素が戦場にあったら、
おかしいとしか思えない。

それこそ、狂気なのだが。

よく戦争を偏見や色メガネで見る人がいる。
だが考えてみてほしい。

当人たちは狂気で恐怖の中闘っているのである。
己自身と。戦争という狂気と。

精神の限界に物量が達するとき、
狂気は発散され

恐怖は覆いかぶさる。

培っていた善良な思いは打ち砕かれ、
後には狂気しか残らないのだ。

よく戦争は狂気でしかない、
という人がいる。

だが考えてみて欲しい。
戦争は狂気ではなく、

狂気そのものが戦争なのだ。

戦争は恐怖であり、
またある人にとっては恐怖が戦争である。

恐怖は狂気を生むが、
狂気は荒廃を生む。

荒廃した地はやがて枯れ、
再び順番(サイクル)が回ってきたときに
花咲くのだ。

そのサイクルは狂気でしかない。

だがそれを見る者の目には
狂気に映らない。

恐怖が花を産んでいるよに
見えるのだ。

よく、砂漠の人々は
楽園の夢を見るという。

咲き誇る花々は、
流れる水は

大理石の水飲み場は

荒廃した地に果たして
咲くことはできるのだろうか。

狂気は狂気しか生まない。
それに恐怖はそのような状況しか
作らない。

例え戦争で正気を保てたとしても、
その先にあるのは

狂気か―――恐怖か―――。

感じることのできない何かが、
この世に帳を落としたみたいに―――

終末世界の幕が
この世界に降りたみたいに―――

戦争に携わった者たちは、
何かを感じるのではないだろうか。





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