Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


どうすれば小説をうまく書けるか

どうすれば小説を書けるか。

ここでは、特に自作小説のような
小説のことを指します。

まず最初に、小説は文芸作品である、
ということを言っておかなければなりません。

つまり、説明的な文章ではない、
ということです。

なので論理的にストーリーを組み立てることは
ないにしても
その文体で読者を楽しませることが
主目的の場合、というわけです。


ひとつは、
論理的にストーリーを組み立てないにしても
ある程度の構造的方法論はあるべきで、
取り入れるべきだということ。

もうひとつは、
小説は自作小説などの文芸作品に
徹しろ、ということです。

もちろん、売れ行きとしての
小説もあるかもしれません。

ただ、大衆的に娯楽である小説は
いわゆる文体で楽しませる文芸作品だと
いうことをまず言っておかなければなりません。

もちろん、ストーリーも、という人もいるかも
しれないが
ここではストーリーは骨組み程度で
メインは文体である、ということです。

いかに優れたストーリーであっても
機械的な文体ではおもしろくないわけで。

売れ行き如何に関わらず
小説、特に自作小説は文体で関わるもの、
だと思っていただければ
この文章は読みやすいと思います。


ストーリーは小説に関係ないと
書きましたが

例えば、スターウォーズに例えられる
大がかりな世界観なら
ストーリーはある程度の重要性を
もってくるわけです。

もちろん、ここでは
その作品の神話性に
それが依存する、ともいっていい。

要は、大がかりな物語であるほど
ストーリーのプロットラインは重要になってくる、

ただ、それが小説に限られる場合は
あくまでも文体は不可欠だというわけです。

もちろん、ストーリーの話になると
話が神話まで飛びますので

ここでの小説の話では
ストーリーについては特に触れないことと
しておきます。

いかにして小説をスムーズに書くか、
の稿ですのでね。


ストーリーに方法論を、
と書きましたので

物語論なる方法論があることは
ある程度お知らせしておきます。

「ストーリーメーカー 創作のための物語論」/大塚英志著

上の本を読めば
物語論がどういうものであるかは
分かっていただけるはずです。

もちろん、多少複雑な本ですので
一発では理解できませんが

だいたいどういう本であるかは
読んで分かるはずです。

読んでおけ、とはいいませんが
ここではストーリーには触れない、と
書きましたので

物語の方法論を紹介しておく、
という形にしておきます。


もうひとつの、

小説は自作小説などの娯楽に徹しろ、
という点について、です。

ここでいう自作小説などに徹しろ、
というのは

商業ベースで小説を考えるな、
という点です。

もちろん、この文章が
自作小説などの私小説を
書く方法、として

書かれていることにも
関係します。

商業ベースというのは、
いわゆる売れるか、売れないか、
という話です。

つまり、売れないわけではないけど
中身はおもしろくない、

という小説だけが残ってしまうという話です。

売れるけど、おもしろくない
売れないけど、中身はおもしろい

(売れるだけで、中身は微妙)

といった小説は市場淘汰で残らないことに
なります。

となると、
売れないわけではないけど、
中身は微妙でおもしろくない、

という小説だけが残ってしまうことに
なります。

両極端の性質を持った小説は
市場原理とコモディティの概念で

売れなくなって消えてしまうからです。

最近の小説がやたら機械的に
ステレオタイプの同じような小説を売り出していること
からも想像がつくでしょう。

商業ベースでは、おもしろい小説は書けません。
それを超えた作者だけが、自らの理想と報酬を手にすることが
できます。

そう書くと商業小説を批判しているようにも
思えますが、

ここでは自作小説の書き方なので
そこまでにしておきます。

あくまで、商業小説を批判するわけでは
ありませんが、

最近の小説がおもしろいか、
というとタイトルだけでもおもしろくない
と分かってしまうので

そういうことを書かせていただいた次第です。


自作の娯楽に徹しろ、
ということですが

それは、単に娯楽で書け、
という話をしているだけです。

もちろん、上手くなりたい、だとか
上手にストーリーを書きたい、
上手にストーリーを構成したい、という人は

いっぱいいると思います。

もちろん、ネット小説という環境は
そういう娯楽小説にとって最良のフィールドであることは
確かです。

ただ、そういう場所で批判のコメントをする人がいるのは
残念です。

あくまで、いいところを見つけないと
書いた人は伸びません。

文芸作品への批判というのは、
自作のものであれば素人がすることで

決して自作小説のフィールドに持ち込んではならない
ものだ、

というふうに認識しています。

単純に、自分の娯楽作品が批判されて
楽しいですか?

という話です。


上手くなりたい、という人もいるでしょうが
もちろん、それは書いて上手くなるしか
方法がないわけで

むしろ書かずに上手くなる、
というのはいささか愚論なのです。

ここで言う愚論とは、
スポーツをやらずして上手くなれる、
と思っているのと同じだ、
という話だということです。

もちろん、イメージでも上手くなりますから
まったく当てはまらないものでもない、

ということは分かると思います。

もちろん、まったくやらずして
上手くなる、という話が愚論だと
言っているだけで、

イメージの裁量に関わらず
多少やってみて上手くなっていた=イメージでも上手くなる

という事実はあってもおかしくない、
というわけです。

つまり、まったくやらずして
上手くなる、というのはあり得ない、

と言っているだけで
要はやって上手くなれ、という話です。

もちろん、見込みがなかったら
やめてしまうのも上手くなる方法だ、というのは
あらかじめ示しておかなくてはならないでしょう。

ただ、明らかにやらずして上手くなる人はいない、
のと同じで

多少やることが
上手くなる方法であること、と同時に

まったくの方策なしでは
上手くなるものも時間がかかる
という事実があるということを

言っておく必要があります。

なので、書いて上手くなる方法と
ある程度の方法論を両立させる必要があるわけです。

その方法論は、
さっき出した物語論と

文体と娯楽に徹しろ、
という単純な方法であることが分かります。

つまり、娯楽に徹していれば
そもそも失敗はないわけで、

単純に上手くやっていけば
そのうち上手くなる方法も見つかる、

ということが言えるわけです。

ネット小説は
娯楽の自作作品を掲載するには
格好の場、です。

ただ、最低限の法則を知っておけば
娯楽の文芸作品を掲示するのは

まったく問題ないわけで、

その上で失敗などない、
ということ。

それから、
娯楽作品なので気楽に書いていれば
まず上手くなる、ということは

まず最低条件なわけです。

もちろん、根のない批判など
余計な要素がなければ

そもそも失敗する要素がない、
という話で。

自分の娯楽作品が批判されるのを
想像してみてください。

それを考えたら容易に他人の作品は
批判できないでしょう。

もちろん、娯楽の掲示の場だからこそ
お互いをよし、として楽しむ必要もあるというもの。

みんなあって、みんないい
という考え方が

娯楽の自作小説が上手くなる
唯一の方法なのではないのでしょうか。

アバター
2014/03/04 19:29
まぁ、目的があれば大丈夫、ということでしょうね

実際、電子書籍なんかで紙の本から
小説の主戦場も移るかもしれませんよb

実際、もう移っているのかもしれませんし^^;
アバター
2014/03/04 19:02
 むかし学術系の報告書をかいていたとき、のちに同業者各団体から一目置かれることになる先輩から、報告書・論文のアラを捜すとレベルアップするという話がありました。しかし昨今かった『コメント力』という本だったかぱらぱらめくっていたら、アラサガシをやらずに、長所を把握してかけというお話。先の話とは、正反対のご意見。どちらが優れているか、結論としては判らないところですが、いえることは面白いことをパクること。そういう意味で二次小説というのは練習場なんだろうなあと思います。……ただこれは私の好みじゃないから、レイアウト構成やキャラクターバランスを調べることに限定しています。




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