Nicotto Town


ふぉーすがともにあらんことを、あなたにも。


平衡、充足して足るを知る

平衡、充足して足る、

非常に重要な概念です。

有史以来、人間は変わらず生活を続けてきました。

そこで何が重要だったかといえば、
平衡(物のバランス)と充足して足る
というところにあったのです。

例えば、雲を突き抜けるような高層ビル。
これを建てたところで、何になりますか?

例えば、10万人は裕に収容できるスタジアム
これを造ったところで、何になりますか?

例えば、10億人が億万長者になれる経済システム、
これを造ったところで、何になりますか?


答えは、NOです。
というか、意味がないのです。

人間の煩悩には、きりがありません。
先んず、煩悩の増大するところ、破滅とインフレーションがあります。

インフレーションは、何も通貨に限ったことではありません。

人口の増大、それに伴う食糧不足、物資不足
経済の物量的破たん

全部、インフレーションです。
というか、インフレーションによるものです。

人間の生活は、インフレーションを起こすと壊れるようにできています。

もし、煩悩の増大するままに、物量・物欲を求めたら、どうなりますか?
答えは簡単です。人類は滅亡します。

一人の考えだったらいい、というのは大間違いで、
他の人はしてないけど、自分だけそうする、というのは許されません。

個人・個性の問題で、他の人と違う異色のことをするのを制限
される問題とは、ちょっと違います。

他の人と違うことをするのはいいのですが、
(一線を画す、という意味で)

煩悩の増大、いわゆる、物欲の増大の問題では、
他の人がしてないことで、それをやるのは許されないことです。

芸術や、文化に関しては別で、それを個性と呼べるのなら
それでいいのですが、

物欲に関しては別で、どこまでも増大していっていいものでは
ありません。もし、人類全体がそれをやってしまったら、それは大問題です。

なので、一個人だけが物欲に関して、どんどん増大する
(インフレーションを起こしていっていく)のは許されません。

地位やポジションがあるのなら別なのです。
ただ、それは地位に社会的責任があるから、というのが明白な理由で

自分の煩悩の増大に、ちゃんと相対リスクヘッジではありませんが
下手したら、奈落に突き落とされるというハンマーがあるからなのです。

社会的責任を負っている人は、ちゃんとそれなりに不正をした場合に
ペナルティではありませんが、負い目を負うようにできています。

それができるから、社会的責任やポジションができるようにできているのです。

富豪のリアリティがない人は、お金持ちになれないのと一緒です。
例え、大金を手にしたとしても、あっという間に使い果たして終わりです。

社会的責任と、それに相対する負い目
それを背負える人だからこそ、社会的ポジションが得られるのです。

話を戻します。

地球上では、人間、それも一個人の煩悩の増大に趣くままに
何か事を為したり、物量を増やすのは許されません。

それは、自分では処理できない、
(つまり、自己責任が取れない形で、物量を増やすこと)
形で、要はインフレーションを増やしている、のです。

これが、自分の帝国なら構いません。
他に人はいませんから、全部自己責任が前提で
好きなだけ物量を増やしても、誰にも迷惑しません。

全部、自分で処理するのが前提だから、です。

人間は、大勢で地球をシェアしています。

その中で、好きなだけ物量を増やす、というのは許されません。
いわゆる、インフレーションです。

今でさえ、地球を紛争などによって分かち合えてない人たちがいるのは
悲しむべき事態で、

本来であれば、インフレーションすら起こしてはいけないのです。
要は、循環可能でない、持続不可な状況、物量を作ってはいけないのです。

それが社会システムなら問題ありませんが、
社会システムで処理できないような、まったくのあてもない物量は、
作ってはいけないのです。

例えば、きりのない原子力発電所や火力発電所などがそれで、
(無尽蔵な水力発電用のダムでも一緒です)

それを建てたからといって、全人類が幸せになるわけではありません。
なのに、一部の人、地域、一部の権力が幸せになるために、

全人類を危険にさらす選択肢を取る、というのです。
これは言語道断で、地球上の人類として許される問題ではありません。

ただ、社会システムによって、それを成り立たせることができるのなら、
別です。

多かれ少なかれ、そういうシステムは早くに滅亡しますが、
それでも多少循環可能な形であるのなら、

まだ、意見する価値はあります。
ただ、それが多くの人の賛同を得られる形、
社会システム的に合理的でない場合は、

結局地球にインフレーションを起こす形として
実行するのは、やはり許されることではありません。

個人一人ならいいのですが、
それをやっていないその他大勢の人間がいる場合を考えると、
やはりあっていいことではありません。

地球上は、インフレーションを起こさないことで
ちょうどよく生活できる要素で満たされています。

また、それ以前の問題で、人間はインフレーションを起こさないことで
ちょうどよく生活できるようにできています。

それは人間が生活できるスペースが、今この地球上に限られているからで、
また、合理的に生活するには地球上の生活はとても捨てられないからです。

このようなことを踏まえると、
地球上で他の人を生活しづらくさせるインフレーションは、
一個人といえど起こしてはならないことになります。

また、社会システムとして、インフレーションを起こさない、
持続可能な、システムを作っていく必要が、

今この地球上では、おおいにあります。

この地球上、または人類の生活は、
平衡、バランスを以てして成り立っているのであって、

また、今の生活に充足して足ることを知るのも、
地球上で大勢の人類が平和で幸せに暮らす上で
不可欠になります。

一個人の考え方こそ重要で、
例え、一度に大勢の人の賛同は得られなくても、

地球上全体、人間の社会システム全体を幸せにする提案なら、
必ず受け入れられます。

もし、一個人が人間社会全体の幸せを考えられるのなら、
私は、人間のうちの一人として、それを歓迎します。

アバター
2014/08/08 19:53
中国の故事は、儒教寄りで偏ってる部分はあるけど、
東洋思想という点で、アジアはどこも似通っている
のかもしれませんね~
アバター
2014/08/08 18:25
『足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。 』老子




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