Nicotto Town


アオイさんの日記


side  ジャムとヤマブキと旅人だった男・1

「あ、私のジャム食べちゃだめ」
お店に入って開口一番、ヤマブキはそう叫んでいた。
午後のお茶の時間。待望のアオイの苺ジャムを食べにようやくお店を訪れたのだが、その店の一番日当たりの良い窓際の席に、ヤマブキの知らない男が座ってジャムをたっぷりと塗ったパンを食べていたのだ。
思わず目を三角にしてそう叫んだヤマブキに、その見知らぬ男はびくりと肩を震わせて、入り口に仁王立ちにしている彼女に視線を向けてきた。

「ちょっと、それ私のジャム。」

そうむくれながら言ってくるヤマブキと、自分が既に半分ぐらい食べてしまったジャムトーストを交互に見比べて、男は少し困ったようにカウンターの方へ視線を向けた。
「ヤマブキさんの分、ちゃんとありますよ。」
カウンターの奥、キッチンから姿を露わしたアオイが慌ててそう言った。
「大丈夫です。ちゃんとヤマブキさん用に分けて瓶に詰めてありますから。」
慌ててアオイが言うと、そう。と一転けろりと笑みを浮かべて、ヤマブキは空いていた椅子に腰を下ろした。
「よかったあ。もうさ、ずっと頭の中が苺ジャムでいっぱいだったから。そこのお兄さんが食べているのを見て、焦っちゃったわよ。」
あはははは。軽やかに笑い、未だどうしたものか、というようにパンを手に持ったまま固まっている男に、ごめんね。と軽い調子で言った。
「ごめん。言いがかりつけてさ。大丈夫だったから。ちゃんと私の分あったからさ。」
謝っている割にはあっけらかんとしたその言葉に、男は微苦笑を浮かべて、そうですか。と頷いた。
「よかった。」
そうあっさりとヤマブキに笑顔を返して、再びトーストを食べ始めた。

「今日もまた紅茶にしますか?やっぱりコーヒーが良いですか?」
そうアオイの問い掛けに、コーヒーをお願い。とヤマブキが応えた。
、少々お待ちください。とアオイがカウンターの中に入り、手慣れた様子で動き始めた。お湯を沸かし、パンをトースターにセットして、そして丁寧な手つきでコーヒーを淹れていく。
 ゆるく穏やかな空気の中に、コーヒーの芳しい香りが広がっていく。それに重なるように、トーストの香ばしい匂いも。

 わくわくと、小さな子供の様に足をぷらぷらさせてヤマブキはオーダーが出来上がるのを待ちながら、ふと、先ほど言いがかりをつけてしまった男に視線を向けた。

 男は端正な、整った顔をしていた。大人の直線的な輪郭に健康的に日焼けした肌。外の風の中で色んなモノを見てきたような眼差しは鋭く、少し取っ付きにくいけれど、それも又魅力の一つになる。靴や洋服やら鞄やら、全体的に古びた格好をしているけれど、手入れがきちんとされているから、汚らしい感じではない。
 
 少し年上だけど。この男の人もアオイちゃんに好意を持っているのかな。この男がライバルじゃ自転車少年は苦労するなあ。個人的な嗜好でいったら甘酸っぱい恋愛の方が好きなのだけど。ああでも、世慣れた男が素朴な女の子に振り回されるっていうのもいいわね。
 大人の男と少年がアオイを挟んでバトル。これ、どうよ。
 妄想が行き過ぎているわよ、ってカスミには言われてしまいそうだなあ。ナンテンなら一緒にはしゃいでくれそう。こんど電話でこの事を話そう。

 そんなことをつらつらと考えているうちに、じっと男のことを凝視してしまっていたようだった。
 コーヒーを飲んでいた男が、居た堪れない様子でヤマブキに視線を向けてきた。男の戸惑ったような表情に、しまった。と心の中でぺろりと舌を出しながら、ごめんなさい、とヤマブキは悪意のない笑みを浮かべた。




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