さだまさしのゆかりの地探訪2(さだまさしⅤ)
- カテゴリ:日記
- 2020/08/11 22:00:55
昨日からの続きで、畳屋から、「大久保康雄邸」に向かいます。
その、前に、大久保康雄邸に関するエピソードを紹介します。さださんが高1の秋、中野君(ブーちゃん)と、学校をサボって、青砥名画座で一日中映画を見たあと、市川駅前のおでん屋で、大久保康雄(注)の息子(慶應の学生)(+彼の友人)と知り合い、そのまま彼の家へ遊びに行った。
注)大久保康雄・・・(おおくぼ やすお、1905年5月1日 - 1987年1月12日)は、日本の英米文学翻訳家。日本における専門翻訳家の草分けで多くの翻訳者を育成した。茨城県生まれ。本名・保雄。(Wikipediaより)
深夜2時頃になって、彼は、サーキット走行するからと言って、ダイハツ・ハイゼットの運転席に彼と友人、荷台に雅志とブーちゃんを乗せ、日の出学園の校庭に行った。ここで、雅志らに、運転を教えた後、全員で交互に、片輪走行をしたり、スピンターンを行ったり、校庭内を縦横無尽に車を走らせた。
この騒ぎを、住民が聞きつけ、警察に通報、警官が取り締まりにやってきた。即、彼らは、逃げ捕まらなかったが、その後日の出学園の校庭の入口には、大きい鍵が掛けられることになった。
という、顛末である。
さて、大久保康雄邸ですが、小郷畳店から、案内します。小郷畳店の目の前の踏切を渡り、すぐ線路沿いの道を右(東)に行きます。ちょっと行くと、左に曲がる道(T字路の角が「生田流の琴と三弦の教室」)があるので、そこを左に曲がります。この道は、この先クランク状になっていますが、約100m行った右側に大久保康雄邸があります。黒塗りの門に大久保康雄の表札がかかっているのですぐわかります。(大久保康雄氏は昭和62年に亡くなっていますが、表札は大久保康雄がそのまま掲げられています。)
この順路は、Google Mapで辿れます。「生田流の教室」の看板も、大久保康雄の表札も、ストリートビューで見られます、是非トライして見てください。
大久保康雄邸への順路は、小説ちゃんぽん食べたかにも小郷畳店を起点として記述がありますが、小説に書いてあるとおりでは、大久保康雄邸には行けません。さださんの記憶違いか、または、個人宅ゆえのちょっとした配慮なのかはわかりませんが・・・
次は、大学時代にアルバイトをした、ペンキ屋へ案内します。
<続く>
2002年11月に、第6回市川市民文化賞というのを受賞した。
因みに第5回は村上正治(作曲家)氏、第7回は井上ひさし氏が受賞しています。
市川地元のファンへのリップサービスで、市川時代のエピソードの紹介もありました。
そういえば、肝心なエピソードを書き漏らしました。それは、『第7回○○賞(地元の商店街が出す賞で、地元の文化芸能に貢献した方を表彰する)を受賞したことが大変嬉しかった。レコード大賞等大きな賞ももらったがそれに匹敵する嬉しさであった。』という話です。
今日から、また、さだまさし市川ゆかりの地の探索研究を始めます。(涼しくなったので、現地調査もやりやすくなった)(*^_^*)
市原いまクラスターでてるしまだチケット発売日もわからない
11月に市原市市民会館であるから行こうと思う