Nicotto Town



旭堂南陵『矢作橋(やはぎばし)』その1

初めの部分がちょっと録音されてなくて途中からでしたので、僭越ながら私の創作で付け加えました。 なお徳川家康の小さいころの姓は松平ですが本文ではややこしいので徳川となっております。 ではたっぷりどうぞ!

「針~~!針は要らんかね~~、針~~!針は要らんかね~~・・・あ~腹減ったな~・・今日は全然売れんかったわー、三河もんは吝い(しわい)からいかんわい。」

袖の短い、裾も短い、前は何色だったか見当もつかないほど汚れた単衣物(ひとえ)の着物を着た小僧が川べりをとぼとぼ歩いていた。 田んぼが見える、何を思ったかこの小僧、田んぼの脇に来て、着てる物をふんどし一つ残して全部脱いでしまった。 田んぼの中にばしゃばしゃ入って行く、腰を屈めてしきりに手を突っ込んでは何かを取ってる。 タニシです。 

だいぶ取ったと見えて手拭いいっぱいに集めたタニシを持って川の方へ・・ついでに風呂代わり、すっかり身支度した後きょろきょろあたりを見回してる。 「や~、あそこがいいや!・・」 橋の下へ・・

“グ、グ~~ウ!” 「やあ、腹の虫がなっとるわい、今日もこれだけや」 小さな鍋に水を張りタニシを茹で始めた・・満腹になるとそこへゴロッと寝てしまう。 何という高いびき!しわしわの顔を尚更クチャクチャにさせながら、またいつもの夢を見始めたのか・・

この小僧、父弥右衛門(やえもん)に先立たれた後、母は竹阿弥(ちくあみ)いう男と再婚したがこの義父と折り合い悪くすぐ奉公に出されたが首に成り、今度は寺に入れられたがまたしくじり居られなくなった。 母の妹の旦那、加藤弾正という者がいる、のちの加藤清正の父ですがこの頃出色の織田家の足軽をしている者で、この小僧のお気に入り。 行く所が無く顔だけ見せてから旅にでも出ようと思い、立ち寄った。 

『よおー猿、よく来た!・・その分じゃまたしくじったか?』 「面目ない・・おりゃあ叔父さん見てぇに侍に成りてぇだ!」 『はっはっは、まだまだおめぇの年では・・まあ小物あたりからなら使ってくれるとこ有るかも知れんな。』 

「どこの大名がいいかな?」 『さあてね・・まあ先が楽しみと思えるのは今川あたりかな?』 「今川と言うと駿河けえ?」・・

と言う事で針売りしながら11の小童(こわっぱ)は旅に出た。 この小童中々に人を見る目を持っている、駿河に着くとその城下の様子人々の様を見るに、まるで都のような様子だが何故か人を見下すような偉そうな感じの者ばかり、町人(まちびと)からしてこうでは殿様も・・針売りをしながらまるで間者の様な下調べ・・「こりゃ駄目だ、こんなとこ居たら飼い殺しになるだけで出世でけん!」 

そう見切りを付けて再び西上し始めた。 故郷中村を出てから彼これ一年余、三州三河辺りまで戻って来るといつものように寝ぐら探し、タニシを取って満腹になると、大胆不敵に寝込んでしまいました。 夜の明けるのも知らないで寝ている。

『こりゃ、こりゃ、こりゃ・・これい! 起きんか!小僧、こら!起きんか!』 「あ~あ~あ~~あ~・・やー? お侍だな~」 『そうだ、出ろ出ろ! 何だこんなとこに寝ておって、邪魔になる!』 「え? おらあこんなとこに寝ていて邪魔になるかー? 何で邪魔になるんだ?」 『ただいま若殿様ご通行じゃ』 

「へへぇ、若殿と言うたら誰じゃい?」 『うるさい奴だ、三州岡崎のご城主徳川広忠様の若殿、竹千代様だ』 「あ~竹か」 『こら! 何じゃ!』 「何処を通るんだい?」 『橋の上をお通りじゃ』 「橋の上通るのに橋の下にいる者をば、何で邪魔になる?」 『こんな所に人が居るというのが良くないのじゃ、上あがれ上、橋の上あがって両手をついて頭下げい!』 「そうか? そんならあがろう」

そんなりで追い立てられるように致しまして矢作(やはぎ)の橋の上、ぺったりとそこへ座って、仕方がない両手をついて頭を下げながら、竹千代てぇ奴はどんな奴だ、大名の倅(せがれ)だな・・

“下にー、しゃおおお~~~” 行列は先を掃ってくる(はらってくる)、これがのちの徳川家康で御座います。 この人は天文の11年12月26日の生まれ、太閤さんは正月の元日だが、この人はまた12月なんです、26日、恐ろしい迫って生まれたものです。

ようやくに可愛らしい若殿でお駕籠に召されまして、駕籠の脇に乳母が付いて、持て遊びを2つ、3つ前において、大名の若殿ですから行儀良く両手を膝に乗せて、珍しそうににこにこ笑いながら上の方を見ている。

(その2へ続く)




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