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旭堂南陵『矢作橋』その2

“下にー、しゃおおお~~~” 藤吉小僧頭下げながらこれを見た。

「あー、こいつ俺より年は下だ、えー! 大名の家に生まれた幸せ者めが、俺の寝ているのを追い立てやがって、橋の上へ座って頭を下げる・・ははー、幸せな奴だな。 俺が出世したら・・この子倅(こせがれ)をば家来にして・・この橋を渡って見せてやるぞ!」

子供ならこそこんな馬鹿馬鹿しい考えが出たんです、かりそめにも大名の若殿で、己は寝るとこの無い小僧だ、それがこれを家来にして橋を渡って見せるぞてぇのは野放図な考えだ。 なれどもこれは子供のその時に思ったんです。

それから後に藤吉郎が遠州に参りまして松下之綱ていう人の屋敷へ子守奉公を、幸いにここで学問と武芸を一通り納めまして戦にも出ました。 けれども三州また遠州、駿河、これは今川義元の領地で今川と言う人を見限りましたから松下の家を出まして、己は生まれ故郷へ戻ってくる、ちょうどこの時年が20歳で御座います。 号を木下藤吉郎孝吉と言う、陪臣(またもの)ながら侍姿、ちょうど懸かって参りましたのが三州矢作の橋・・

「はは、おりゃあこの橋だけは忘れられんなー、この橋の下で寝ているのをば徳川の家来に追い立てられ、ここんとこに座って頭を下げた。 あの時の竹千代てぇ奴は、あ~あ、やっぱり大名だな奴は! 俺は見る影もない、こりゃ浪人者の身分の軽い侍だ、はっはっはっ! まだまだ追っつかんなー!」

独り言を言いながら懐かしい橋を中程まで渡ってくると、後ろから・・『おいおいおい・・おい! お武家、お武家!』 「あ? 何じゃ?」 

振りかえりますと橋の袂に円台を置いてその上へ机を置きまして易書を積み上げ、天眼鏡を載せ、算木筮竹(さんぎぜいちく)を並べた、まだ年の若い坊主頭、腰衣を付けているのは坊主上がりと見える。 扇を広げて呼んでいる。 

『おいおい、ちょっと、ちょ、ちょ、ちょっとすまんが、ちょ、ちょ、ちょっと戻ってもらいたい!』 易者の方でね、往来の人を扇を拡げて呼び止めるのをば、“熊谷”てぇ符帳が付いてます。 あー、あいつ熊谷やってるなってなもんですね、扇で呼び返すから・・こいつを見た藤吉 

「うふっふっふっふー、易者めぇ・・俺をば金儲けの種にしようとしたな! あーうるさい奴だ・・けっ!からかってやろう。」

「何だ? 易者、何かようか?」 『すまんがな、お前が向こうから御出でになるのをこちらからじっと見ていたんだが・・あー、どうも不思議な相が有る! 人相をば我ら易の方勉強の為じゃ、いいか、すまんがどうか人相を見せてもらいたい、えー、お手間を取るが。』 

「お前の方から儂の人相を見せてくれてぇのか?」 『そうそう、そ!』 「んんそりゃ見せてあげん事は無い、やらん事はないが・・見料は幾らよこすな?」 『え?見料? お前見料取るのか?』 

「当り前じゃないか! 俺の方から見てくれえと言うたらお前見料取るだろう、お前の方から見せてくれえと言うたら見せる俺が見料取るのは当たり前だ! 幾らだ?」 『う、う~ん! おりゃあ易者になったがな、見料払うのは今日が初めてだ、あ、よしこんだけある、朝から儲けた銭だ、これだけ渡すから見せてくれ。』

「え? 見料払ってまで見たいのか? なー、はは、変わった顔は持ちたいもんだな、易者が見料払って見やがる。 よし、じゃ見せよう、その見料で見せよう。 ところがな易者!」 『何だい?』 「俺もちょっと易が好きでやったがな・・」 『んん』 「腹が減ったり酒に酔うたときには人相が狂うという事を聞いた。」 『そりゃそうだ、お前腹が減ってるのか?』 「いや、どうもすっかりペコペコだ! 本当の相は出んぞ。」

『うるさい男だなこの男は・・ちょっと待ってくれ、そこへ掛けてくれ、いいか・・じゃこの弁当をお前に半分だけ譲ろう、俺も食わんならんから、ケチな事言うようだがこの飯の上からこうやってこう、ぐうっとこう箸で筋を付けとくから、これからこっち半分食ってくれ、いいか、ここにお茶がある、これで食ってくれ。』

「こりゃどうもすまんなー、見料払って弁当までくれて俺の相が見たいのかなー、ははー! 変わった相だ、そりゃあ俺の顔は変わってるからな、じゃ御馳走になる。」 『どうぞおあがり!』 

「よし、ん~、こりゃあ美味い、中々どうも・・易者、このなー・・弁当なんてぇのは菜は油げに限るな、油みの醤油が沁み込んでいるから・・」 『黙っておあがり、黙って!』

(その3へ続く)




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