Nicotto Town


りんちゃんのおしゃべり日記


7度目の3月11日によせて


「復興」とはなんなのかを考えさせられてしまった…。

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2018/03/15 23:44
復興の現場から一言。

7年前の今月も自分達にとって出来ることを精一杯行動してきた人達からすると
「7年も経って先が見えない!」「行政がキチンとしてくれないから生活が出来ない!」等の意見は
そろそろ、ダメでしょう?って感じかな。

時間は何も行動を起こさなくても、起こす努力をしてても
同じに流れていくモノで本当に立ち上がろうとする人達には手を差し伸べたいけど・・・
ただ甘えている人達は『していただいてる』等の感謝の気持ちすらなく
当たり前~♬なオーラが見えてたりすると、もうね。^^

国・地方・民間企業・住民の意識には思いっきりズレが発生しているのが現状だと思います。

津波で被災した地区に勤務する従業員さん家族が賃貸アパートで生活してて
被災したカマボコ工場に勤務する為に1時間以上の通勤時間で悩んでいても
新設された会社近くのアパート等は入居は原発避難者優先で
部屋だけ借りて、引っ越しすら全然せずに知り合いに『又貸し』 もしくは、『物置代わり』って
そりゃぁ~、地元住民とトラブルでしょうよ!

震災経験したけど、次の世代に残すモノも無いので
現状の生活が送れればOK~っ♥な感じでお気楽~♬に生活していければ良いと思ってる
自己中くんで~す。^^
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2018/03/14 21:23
そうですね^^;
国民から税金を徴収して復興を進めているようですね
宅地造成しても、帰ってくる人が建てるかどうかわからないままに
工事は進んでいるとか・・・赤字?
大切な税金なので・・・考えてほしいですね^^:
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2018/03/14 05:42
再度コメントさせて。
従兄の娘が、結婚して釜石に住んで、子供に恵まれて家も建てました。
父親(私の従兄)の法事で家族全員で自分の実家に帰った時、地震がおきました。

夫は市役所勤めなので仮住居で勤務に戻りました。
でも家もなくなり、彼女は娘と二人実家にやっかいになることになりました。
働いて、津波で流された家のローンを返済しています。
実家でちゃんと面倒をみてくれているから、仕事もあるから、
とても恵まれた被災生活だとは思いますが、
夫婦別居はそれ以来ですし(週末には会っているけど)、
娘も小学校を卒業して中学に進み、友人もいっぱいできていることでしょう。
いつになったら元通りの
夫婦仲良く同居して娘を育てる生活に戻ることができるのでしょう?
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2018/03/13 19:30
復興って、元に戻ることじゃないですよね。
死んだ人は生き返らないし、壊れた建物や家具、日用雑貨は同じものを再現できないし。
いろんなことを我慢して、
ご近所付き合いも違ってきて・・・
それでも帰宅できたら上出来です、と思います。



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