Nicotto Town



旭堂南陵『矢作橋』その4

「はっは~~はっは~~っは!」 『大きな声で笑いやがるな!』

「易者、了見が小さい、小さい、えー、三公の官位だの武家の司、ありゃ神や仏が成る者と決まって居らんぞ、え! 人間が成るもんだぞ! 俺は今は吹けば飛ぶような浪人だ。 しかし俺はな、憚り(はばかり)ながら天下をば掌握してみたいという思いを持っておる俺は! それがやっぱり人相に現れるんだ、人はその位の望みを持たなくちゃあいけないぞ、そりゃあお前了見が小さい。」

『んん? お前そんな大胆な了見を持ってるのか?』

「易者! 俺はお前の天眼鏡でお前の人相を見たんや。」 『やな男だなこの男は、俺の人相・・』

「見た! お前もいい相をしているぞ、俺は、お前はなー・・易者をしている人間と思わない、必ず幾千万の人に見上げられる人だわい、とこう儂(わい)は見たでぇ・・おりゃそれを信じてる、俺の三公の官位も信じてくれ!」 

『ん~ん、お前にそう言われてみたら俺の考えが小さいかな?! よし、分かった! それで甚だ失礼を申した、お前の三公の官位を信じておこう、お前名前なんと言う?』 「木下藤吉郎孝吉という。」 『俺はな、愛宕の僧で珍蔵主(ちんぞうす)という者だ。』 「おおー、そうか!」 

『またどっかで会う時が有るだろう、何かその時の証拠を取り交わしておこう、さあ大事なもんだがお前に預けよう、こりゃ観世音の立像(りゅうぞう)だ。』 「お?そ!俺はそんな良い物は無いぞ。 へ、吹けば飛ぶような・・へへ侍だから・・じゃおりゃこの小柄預けよう。」 

『よし、じゃあこれで別れよう!』 「珍蔵主! 出世せいよ!」 『木下、お前も!』

右と左に別れました2度目の矢作の橋へ懸かった時には三公の官位と言われた藤吉郎の慶び・・・

 織田信長の家来となって別当から足軽に成り、足軽から目見え以上の侍に成り信長に小猿小猿と言われて居りますうちにとうとう中国の探題職、播州姫路、中国いっぱいに手を拡げる様になって羽柴筑前守秀吉、備中高松という城を水攻めに居たしてる時に、毛利、吉川、小早川という中国の三大家から陣僧として安国寺恵瓊(えけい)長老という名僧がやって来た。 これが和談をしようというので羽柴筑前守秀吉の所へ来た時に、お互いに顔と顔を見あった秀吉が・・

「あ~! お前は珍蔵主か?!」 と言って昔物語を致しました。 その時には安国寺恵瓊長老という数万の人に尊敬される僧に成っていた。 

間もなく羽柴筑前守は逆賊光秀を滅ぼし運に長じ、天正の10年6月には高松の水攻めが出世の元と成って、18年の9月には従一位関白、太政大臣と成って小田原征伐をしまして奥州まで平らげまして、10余万の大軍を連れて故郷の尾張中村に帰ろうという、まことにこれが故郷へ錦!

国を出る時には11才のおりから小僧っ子たった一人で飛び出した人が10余万の家来を連れまして奥州からどんどんどんどん行列を立てて、従一位関白、太政大臣と成って引き上げるんですから・・この道中は東海道へ懸かりますと徳川家康が道中をちゃんと接待を致します。 関白殿下の行列がちょうど懸かって参りましたのが三州矢作の橋!

「乗物を止め!」 乗物を止めと言われましたから、殿下お乗りに成って居ります乗物がピタッと止まる。 「靴を!」 『へへ!』 そこへお靴をさっと揃えます・・

何と思いましたか秀吉は、今日は従一位関白太政大臣の衣冠束帯、杓を取って揃えられました靴へずずっと足を入れ、“コロ~ン、コロ~ン”靴音高く歩き出した!

何しろ人数が10万からある、この行列が何10町というほど続いている矢作の橋で行列が止まったんですから、いやどうもえらい騒ぎだ・・後ろの方の者が騒ぎ出した。 

「おい、早く出せよ!」 『こっちも出る事が出来ない、どうしたんだい? 先の方はどうなってるんだ?』 

「お乗物が止まってるんだよ!」 『あ、お乗物が? 関白殿下の?』 「そうだよ」 『あ、パンクしたか?』 「何を言ってるんでぇー、何だか知らねぇが止まってるよ! しょん便かな?」 ざわざわざわざわしている。

(その5へ続く)




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.