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三遊亭円生『永代橋(えいたいばし)』その1

玉置さんの話し
“元禄11年と申しますから1698年、5代将軍綱吉が50歳を迎えたその記念に掛けられたのが隅田川4番目の橋、永代橋(えいたいばし)で御座います。 ご存じ忠臣蔵、赤穂浪士、討ち入りを果たしました吉良亭からこの永代橋を渡って泉岳寺へ向かった。 えー、これは皆様ご存じのとおりで御座います。 この永代橋が落ちるという事故が御座いました。 その辺を背景に円生さんが申し上げる事になっております。” ごゆっくりどうぞ・・

えー、近頃はこの交通地獄とか、交通戦争なんという、色んな言葉が有りまして、まあ事故という物は随分頻繁に御座いまして、まあー自動車でどうしたなんてぇ事は近ごろ珍しくなくなりましたが、昔はそういう車という物は無かったんで御座いますが、えー、勿論丸っきり無い事は有りませんで、大八車という、あの荷を乗っけましてこう引っ張りましてね、えー荷物が大きくなると綱を付けて引っ張る、んー、2,3人が後から押すて言うような、こうゆうのはその大変重い物で御座いましてね、掛け声をかける、「えーい! やほーい!・・えーい!やほーい!・・えっさのほーい!」てな訳で、・・でこの車に轢かれて死んだ人が有ったてぇますが、どうも世の中てぇのものは可笑しなもので、昔はのんびりした人間が居たもんで御座いますが。 えー、尤も大きい虎口(危険な所)の事故というのは、永代橋が落ちたという、これは文化4年と申しますが、まあー当時えらいこりゃあ騒ぎで御座いまして。

えー、江戸の三大祭りといいますが、山王の祭り、それから神田祭、深川八幡の祭という、えー中にはそれは違うという方も有りまして、三社祭が入っているんだと言いますが、古老の方に伺いましたが本当はやはり深川の八幡様というものが三大祭りの一つに入っているんだそうで。 えー、御承知の通りあの材木に乗ります川波という、あーいう方はその彫り物という物をしてます。 えーこれは大変で御座いますな、うー、あたくしも古い噺家に効きましたが、川波でいい彫り物をしている方は、んー、普段見せないそうですな、人に! 絹のシャツを着ていたそうで、手首まで有りますあのシャツを着てる。 これはどういう訳だってぇと、日に当たったりなんかすると色が焼けまして汚くなると言うので、もうお湯へ入るほかは裸にはならんという、大切にしてた。 で、これを一年に2日だけ見せると言う訳で、八月の一五、一六で御座いますが、これがその深川の祭りで。 で、この時にはこの法被(はっぴ)をもちろん着ておりますけれども、脱いで足の所にこうずーっと細く巻き付けてある。 昔は随分やかましかったんだそうですね、裸になるてぇ事は! ところがこればかりは何とも言えなかったそうで、もし言おうもんならばえらい事に成りまして・・そうでしょう、当人も一年中大事にしたものをたったこの祭りだけで人に見せようと言うんですから、とやこう言おうものならこりゃあもう血の雨が降ると言う訳で。

で、その年は芸者が彫り物をしたという、これも評判になりまして、えー、あの彫り物てぇ物は男でさえなかなか我慢が出来ないと言う辛い物で、で、それを年の若い婦人がすっかりこの仕上げまして、色の白い肉ずきのいい所に朱が入りまして、あー大したものですね、すっかりこの出来上がった奴へこれその縮緬(ちりめん)の浴衣で御座いますね、あれを何枚も重ね合わせて片肌脱ぎで、手小舞姿という、金棒を持ってた~んと立ったところなんてぇ物は、どうも!!!・・実に!!・・あなた方に一目御覧に入れたかった!えー、あたくしも見たかったんですけれど・・文化四年というんで、西暦で1807年という、これはどうも見ようたって中々どうも見られはしませんが。

ま、こう言う事が評判になりまして、是非この祭りを見たいと言う、江戸中はゆうに及ばず近郷近在から人が押し出すと言うえらい騒ぎ。 ところが雨続きで御座いましてあいにく決まった日に御祭が出来ませんで伸びてしまう。 段々段々日が伸びて8月の19日という、えー、お天気になった。 さあー今日こそはというので人がわいわい出てくる訳です。 すると今の時間で言うと午前10時から11時の間、永代橋が通行止めになった。 それと言うのは一橋公が船でこの、お通りになると言う、昔は身分有る方が船で通ったり何かするときは、橋の上は通行止めになります。

(その2へ続く:ちょっと長めですので2日に分けます~32分)




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