臨死体験其の弐 (無理やり)最終章
- カテゴリ:日記
- 2009/01/28 20:59:28
枝に絡めて掴まっている手足を何度も組み替え、ひたすらしがみ付いているうちに、意識が遠くなって来て視界は闇に・・・
この後、気が付くと、さらにかなりの数のこの世と似たような違うような場所に居ては、次の場所に・・・共通してるのは、周りに人が居ようと居まいと、熱かろうと寒かろうと、常に1人で、苦痛に耐えるだけの世界でした。
刹那、この場所から子宮へ、胎児のなかに入り込めそうなところもありました。なぜ、そう思えるのかは、分からないんですが。
その誘惑は強烈で、かなり迷う。しかし、自分の自我を捨てられない。捨てたくない。ために身動きできず立ち尽くす。
と、あたり一面の雪原の中に只一人立ち尽くしている自分に気付く・・・
空は低い、日が暮れたすぐ後の様だ。低い雪に覆われた山々が見える。視界は強烈に鮮明だ。
日が沈んだと思われる方角から桃色の空と、それに染まった山並と空、全天の半分は青紫色で、総じて空は明るい。一面の雪原は足跡一つ無く、非常な清純さを感じる。
風も無いのに、身を切るような強烈な寒気を感じる。私は身に纏うもの一つ無い裸だが。陰部の恥ずかしさを全く感じない、周りに誰もいないせいではなく、そこら辺がうつろで違和感がまるで無いからだ。
もう寒さを通り越して、痛い・・・うずくまって両足を手で持って横たわる。地面の雪についてる体半身が痛いほど冷たいが、もう動けない・・・寒い痛い寒い・・・ふと気付くと。ここには音が無い。
自分の呼吸する音も心臓の鼓動音も・・・ただ、悲しいくらい美しい雪に覆われた山並み・・・強烈に襲ってくる孤独感。(家に帰りたい、家に帰りたい)小さな頃・・ハイハイして母を追った頃、歩いて父の後を追った頃、亡くなった父母の顔、おじいちゃん、あばあちゃん・・・
突然、あたり一面の闇に包まれて、上も下も分からなくなる。
体が、指先が乾いた砂のように崩れてゆく・・・あれっ・・・集中して自分を保たないと、消えてしまいそうになる。・・・延々とそれを繰り返す。
俺は三蔵だ!小さな頃のことも、学生の頃の事も、友達も彼女も全部おぼえている。俺は自我は絶対失わない!強く思った・・・・・・そしてどうせ死ぬなら、知りたい(願いかも)、この世はどういう仕組みで出来てるんだ!生命とはなんなんだ!魂とは!この地球とは。物質とは。生物とは。この宇宙とは。時間とは・・・
それは、唐突に出現した。
暗黒の宇宙の果てに、緑色に光る大きな波が?見渡す一面に、柔らかいのか固いのか分からないけど、果てしなく続く透き通った壁?・・・ソレは緑色に発行する線で区切られた、幾何学模様のパズルの組み合わせ・・・隙間無く奥行きの在る無限の幾何学の立方体の集合?・・・
なぜそう思えるのかは分からないけど、其の中に、自分が居るべき場所を見つける・・・
・・・そこに入ってみた。
瞬間。
この我々の宇宙の仕組み、生命の仕組み、意識と生命と物体と有機体の仕組みが、私の中に奔流となって流れ込んできた。
そうか、そうなっていたのか・・・しばし。歓喜で恍惚となる。
しばらく身を任せてみると、自分の居場所はここだったという安らぎと心地よさを憶える。
暗闇に浮かぶ地球が見える・・・是ほど美しいものは存在しないと思うくらい、光輝きそれでいて眩しくない・・・山々、人々も見える、その総てのモノの中心が緑色の光の点を持っているのが見える・・・
帰って皆に伝えたい・・・よしっ帰ろう!わき目も向けず、自分の場所より飛ぶ出す。
今まで来た道を通らず、あの青く輝く地球に向かって真っ直ぐに・・・
自分の体に・・・向かって。
目が覚めた・・・傍らに居た、おばあちゃんがびっくりして、ひっくり返りそうになる。
憶えてきた科学的、理論的・真理を、今すぐ教えたいが・・・
その日のうちに呼吸器とかを首から外して、何日か静養してる間、肝心の部分に霞が掛かったように言葉が出てこない・・・マズイ・・・憶えていない・・・なぜ・・・
その後、普通の骨折やら打撲の治療にもどりました。
その半年後。ようやく松葉杖がなくても歩ける様になり、退院しました。
みんなに。また始まったとか、鬱陶しがられながらも、それが、なんだったのか、未だに模索中の三蔵くんでした。
この前後のブログを全て大変興味深く読ませていただきましたぁ・・
もぐらさん?の登場のあたりで・・ごめんなさい・・涙が溢れちゃいました(ノ_・。)
私は そんな大病等はしていないですが、子供の頃から感受性がすごく強く
(霊感体質というのでしょうか)いろいろ・・人には見えないものが見えたり
普通では有り得ない変な体験したりしてきましたo(T^T)o
でもうちの家族は・・みんな全くそういうのを感じない人達だったので
もの心つくまでは・・よく母に「そんな話、あんまり人に話してはダメ。頭がおかしいと思われるからね」とか
「その話、人に話しても誰も信じてくれないしキチガイ扱いされるから言っちゃだめよ」とよく言われ続けました
子供の頃は・・なんで見たものを見たって言っちゃダメなの?って
ずっと疑問に思っていました・・・でもいつの頃か・・私って他の人とどこか違うのかなって
少し思うようになって・・誰にも友達にもそんな話はせず避けてきました
でも・・ここ数年は スピリチュアルブーム?で・・三輪さんとか江原さんとかがマスコミに
取りあげられるようになって、ようやく・・いろんな人がその世界に対して興味を持ち
初めて聞く耳を持ってくれたような・・・そんな気がします(*'ー'*)
だから私も今は、全然平気で友達にも会社でもニコでもその話ができるようになりました^^
三蔵氏の幻覚で?現れる虫の話も・・すごく良くわかりますし理解できます
私の、究極の霊体験は20歳前後がピークでしたが、たまに幽体離脱してました
そのあと・・自分の霊魂が自分の身体に戻るときの体験・感覚が
三蔵氏の経験した臨死体験たるものに・・とても良く似ています(゚ー゚)(。_。)ウンウン
そん時・・ちょっと言葉では説明しずらいですが
なんともいえない生ぬるい、ぬるっとした空間を通りこの世界(現世)に戻って来たのを覚えています
家でおきる数々の怪奇現象も・・今では平気です(^-^)//""
幽霊?亡霊?と呼ばれている存在よりも・・欲にまみれた生身の人間の方がよっぽど恐いじゃないか~と
思う今日この頃であります キャーゞ(^o^ゝ)≡(/^ー^)/"""パチパチ
だから生きたい!と!
近頃は死の美学ちっくなとこがあるから。。。
生きたくても 亡くなる人がいるんだから 元気な事はありがたい!
おばあちゃんも 意識が戻る間は 心配で心配で心細かったと思います。
三蔵さん 無事 生還できて本当に良かった!(゜-Å) ホロリ
圧倒されて言葉が出てきませんでした。
最後の自分のあるべき場所や宇宙の真理を理解し、自分の体に帰って来るところは、手塚治さんの「ブッダ」のスジャータを助ける話を連想します。
戻ってこれて本当に良かったです(*^▽^*)
三蔵さんはその体験の中で終始誰とも関わらず、いる場所が、あるいは目にうつるものが
変化していって、帰ろうという気持ちが強く持てたときに、元の体に戻って来られたと・・
”こっちですよ”とか導く人の存在とかは無かったんだね。
死って、体温が保てなくてどんどん下がっていって そのせいで寒さを感じるのかなあ
真理的な部分は、三蔵さんが願ったからその真理を神様が教えてくれた でも
現世に戻るのならその知識は持ち帰られたら困るってことで、その部分だけを記憶から
消した、または思い出せないようにした・・なんちゃってね
いやいや いいお話でした
こういう話には夢中になっちゃいます☆
これってかなりコワイかも・・・
綺羅々頭悪いからうまく説明出来ないんだけど、これコワイぉ・・・
こういう臨死体験で自力で戻ってきた人の話、あんま聞いた事ないから(;∀;)
ホントに戻って来れて良かったね><;;;
そして今がある・・・。
なんだかとても綺麗な気持ちの持ち主のように感じます。
覚えていないその記憶は生きている間に知ってはいけない事なのかもしれないと、読みながら感じました。
ちなみに私の母方の祖母はとても不思議な一面のある人です。
私たちが色んな学問やら思考を廻らせて不思議に思っている事を体で自然に受け止めてるような・・・。
そのおばあちゃんのお母さん?だったかな?は亡くなって皆がわんわん泣いていると、
がばっと起きて「うるさいなぁ!せっかく綺麗なお花畑に居たのに!」と言ってまたすぐ亡くなった・・・という奇怪な話を聞きましたw
いや、でも、こちらに戻ってこられて本当によかった
そのままあっちに逝っちゃってたら ニコットで回り逢うこともなかったのですから
人間 生きててナンボですよ
辛いことも哀しいことも含めて人生ですから 楽しまなアカン☆
死後の世界は死んでからでよし!!
今は精一杯生きるべし☆
小説みたいです><。
前半も後半も凄い!スゴイ!!と!
本当に三蔵さんが回復されて良かったです。
うちの親はやっぱり「お花畑を見た」って言ってました。
私自身はほとんど霊感がない(かつてはあったらしい)から
この先不思議体験ができるのかどうなのか、もしできるなら
怖くないものをお願いしたい…<そんなリクエストができるのかどうか
とか思ったりするしだいなのです…、