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ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第98回はチュニジア


 アフリカはまず、マグレブ諸国から始めますが、今回はサッカー日本代表に30で勝ったチュニジアの登場、この国は古代のアフリカ代表のような国です。

 チュニジアは北アフリカのマグリブに位置する共和制をとっている国家で、西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面し、地中海対岸の北東にはイタリアが存在、首都はチュニスです。

 チェニジアは歴史上最も早く「アフリカ」と呼ばれ、アフリカ大陸の名前の由来にもなった地域です。

 チュニジアの先住民はベルベル人やフェニキア人でしたが、7世紀のアラブによる征服以降、住民の混血とアラブ化が進んだため、民族的にはほとんど分けることが出来ず、住民はアラブ人が98%で、残りはヨーロッパ人が1%、ベルベル語を話すベルベル人、ユダヤ人、黒人などその他が1%です。

 イスラムが国教で国民の98%はスンナ派、しかしこの国の戒律は比較的緩やかで、女性もヴェールをかぶらず西洋的なファッションが多く見られます。

 チュニジアの歴史ですが、現在のチュニジアに当たる地域に紀元前10,000年頃に西アジアから原地中海人種とされる人々が移動してきたとする説があります。

 タドラルト・アカクス(12000年前)やタッシリ・ナジェールに代表されるカプサ文化(1万年前 - 4000年前)と呼ばれる石器文化を築いた人々がベルベル人の先祖と考えられており、チュニジア周辺から北アフリカ全域に広がったとみられています。

 紀元前4,000年ごろにはサハラが乾燥し、砂漠化しました。

 先史時代以降、内陸部にはベルベル人が居住するようになっていましたが、沿岸部には地中海交易で活躍していたフェニキア人が、交易拠点としてこの地に移住し、紀元前814年頃にカルタゴ市が建設されたのです。

 カルタゴ帝国は商業を拡大する中で地中海やアフリカ沿岸に探検や入植市建設を行い、北アフリカやシチリア島、サルデーニャ島、コルシカ島、バレアレス諸島、イベリア半島東部に植民市を築き、勢力下に置いたのです。

 「アフリカ」は古代においては現在のチュニジアに当たる地域のみを指す言葉で、後にアフリカ大陸全体を指す言葉となりました。

 カルタゴ帝国は紀元前264年からイタリア半島で勢力を伸ばしたローマ共和国との三次に渡るポエニ戦争を繰り広げ、ローマ帝国は第三次ポエニ戦争でカルタゴを征服し、紀元前146年にカルタゴは滅亡しました。

 カルタゴが滅亡すると、領土は全てローマのアフリカ属州に組み込まれ、ローマ風の建築物が建てられるなどローマ化が進み、キリスト教も普及していきました。

 ローマ帝国の東西分裂後、チュニジアは西ローマ帝国の統治下に置かれ、その後534年に東ローマ帝国のユスティニアヌス帝によって滅ぼされ、これ以降は東ローマ帝国に組み入れられました。

 7世紀からイスラーム勢力のウマイヤ朝がチュニジアにまでジハードを敢行してアラブ人の侵入が進み、様々な戦闘を経て、698年にローマ人のアフリカ支配は終焉し、チュニジア(ベルベル人)はアラブの支配に服することになったのです。

 チュニジアのイスラーム化はその後も進み、ハフス朝(1229 - 1574年、チュニスを中心にチュニジアを支配したベルベル人のイスラム王朝)、オスマン帝国属領時代(1574-1705年)、フサイン朝時代(1705-1881年)、フランス保護領時代 (1881-1956年)などを経て1956年に独立、現在に至っています。

 ここから、チュニジア観光に入ります。

 まず、シディ・ブ・サイドです。

 シディ・ブ・サイドはチュニジアの首都チュニスの中心から車で約20分のところにあるビーチリゾート地です。

 チュニジアブルーと白で統一された街並みは、チュニジアで一番美しい街といわれており、小高い丘の上にある街からは、地中海を一望できます。

 ヨットハーバーやビーチも近く、海水浴を楽しんだり、海を見ながらのんびり過ごすことができます。

 メイン通りのハビブ・タムール通りには、レストラン、カフェ、お土産屋さんが多く並び、散策を楽しむのに最適で、街で一番有名なカフェ・デ・ナットでミントティーを飲むのもおすすめです。

 次に、グランド モスクです。

 グランド モスクは、チュニジアのケロアンにあるモスクで、北アフリカ最古と言われるイスラム建築が見られルことでも知られています。

 672年にアラブの司令官であるウクバイブンナフィにより建てられ、モスクは長さは135m、幅80mのエリアを囲み、イスラム教徒以外は礼拝堂に入ることは出来ません。

 建物の回廊はローマやビザンチン遺跡からパーツを取り入れた複合的な建築が見られる貴重なもので、ミナレットの壁にも遺跡の一部が逆さまに利用されるなど、見所満載のモスクになっています。

 最後に、スース旧市街です。

 スース旧市街は1988年に世界遺産に指定され、チュニジアの首都チュニスから南へ140km、第3の都市になります。

 チュニスから電車で2時間半のスース駅からはすぐの場所、地中海のビーチリゾートとも言われる場所で、街は大変美しく「サヘルの真珠」と呼ばれるほど。

 スースは紀元前9世紀に、フェニキア人が造った港町で、ポエニ戦争が起きた時にスースは敗れたのですが、ローマと同盟を結んでいた為に破壊を免れました。

 スースは街全体が城壁に囲まれた要塞都市、その高さは8mにもなり、スースのリパトやグランド・モスクにその重要な姿が今も残されるのです。

 次回もマグレブの国々を個別に紹介します。

 引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )

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2022/06/18 06:19
べるさんへ
マグレブのサハラ砂漠以北は、地中海文化とイスラム文化の混合のようなもので、気候も温暖な地中海性気候で、首都チュニスは冬でも日本ほど寒くありません。
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2022/06/18 06:07
青魚岩太郎さんへ
黒人(ネグロイド)の主要な居住地はサハラ以南のアフリカ大陸で、サハラ以北の地中海に面した地域には
アラブ人が主に居住しています。

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2022/06/17 14:38
イメージ的にチュニジアがアフリカ代表?と思ったんですが、そういう歴史だったんですね・・・なるほど、勉強になりました。
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2022/06/17 13:34
アフリカというと黒人国家のイメージが強いですが
アラブ人国家なんですね



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