Nicotto Town


ジュンチャン


ジュンチャンと世界を巡る 第113回はウガンダ


今回のウガンダは、以前書いたブログ「ナイル川の旅」から紹介します。

ウガンダは東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国で、首都はカンパラである。

ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接していて、旧イギリス植民地である。

ウガンダは、かつて英国のチャーチル首相が「アフリカの真珠」などと呼んで,その美しさを讃えた国で、良く見るとアフリカ大陸を縮小したような形をしている。

国土面積は本州くらいで人口は3000万人ほど、アルバート湖、キョウガ湖、ヴィクトリア湖を繋いで、白ナイル川が国の中央を横断する、水と緑に恵まれた白ナイル最上流地帯の国である。
 国土の大部分は海抜1200m程度の肥沃で広大な高原地帯で、気候は温暖多雨、また、希少動物のマウンテンゴリラが生息していることで有名である。

この国には現代のナイル河源流の地とされるビクトリア湖畔の「ジンジャの町」と、プトレマイオスの時代の伝説のナイル河源流地とされていた「月の山、ルエンゾリ山群(最高峰はマルゲリータ峰)」がある。

そのジンジャはウガンダの首都「カンパラ」から東に80km、ウガンダ第2の都市である。
 ジンジャにある白ナイルの源流地へは、町から南西に3kmほど離れた「ナイル源流庭園」から船で行く。
 その道の入口には「ナイル川源流の碑」が設置されていて,碑には「この地点はナイル川がウガンダ,スーダン,エジプトを経て地中海に至る長い旅を始める場所を記念している」と記されている。

船着場から小さな船に乗ってナイル川をヴィクトリア湖方向に10分ほど遡ると小さな島と対岸との間に川底からフツフツと水が湧き出ている場所がある。

その場所が、1862728日、探検家スピークによって発見されたナイルの源流である。
 ナイル源流の対岸地点にはスピーク・メモリアルと名付けられた塔が建てられていた。

 

次にビクトリア湖を紹介する。

この湖は代表的な古代湖で、100万年の歴史と多くの固有種の生息する『ダーウィンの箱庭』で有名だが、近年ナイルパーチというスズキ亜目アカメ科の全長2mを超す肉食の外来魚が食用として放流定着し、湖の固有種が激減している。

ナイルパーチによる生態系の破壊であり、生活体系の破壊も、同時に起こった。
 ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』は、ウガンダのビクトリア湖を挟んで対岸の町、タンザニア・ムワンザが舞台。
 この小さな田舎町に、ナイルパーチ捕獲加工企業が進出してから町はナイルパーチ輸出による「魚景気」に沸き出し、町は一大魚加工・輸出基地に姿を変えた。

仕事を求めて,町に様々な人々が集まり始める。

職を求める男たち。

魚を空輸する旧ソ連地域出身のパイロットたち,彼らを相手に売春する女たち。
 そういうことで、新たな産業は地域社会に雇用と富をもたらしたが,一方ですさまじい所得格差を招いた。
 職にありつけない男たちの間には暴力が,売春婦たちにはエイズが広がる。

エイズで親を失い路上で眠るストリートチルドレンの間にはドラッグがあふれかえる。(ストリートチルドレンの平均寿命は幾つくらいなんだろうね。)   

ムワンザ空港から毎日,魚満載の貨物機が欧州へ向け飛び立ち、戻る時には武器が運ばれてくる。(アフリカ各地の紛争で使われる。)
 歴史の流れの中で繰り返し行われて来たグローバリズムという魔物が、貧しくてもそれなりに幸せだった古き良き世界に襲いかかり、そのシステムに適応しなければ,滅亡が待っている。
 それは良いとか悪いとかを越えた、生存を賭けた生き物としての戦いに見える。(アフリカの現実が、深いところまで見えてきた。)
 

 東西の両グレート・リフト・バレーの真ん中に位置する大湖地域は、5万年前から石器時代の人々が狩猟・漁労を営んだ。
 5千年前頃,北からクシ系(アフロ・アジア語族)の人々が牧畜のための草を求めこの地に移動、そのあと、西からバンツー系(ニジェール・コンゴ語族)の人々が農耕文化を携え移動,さらにナイル系集団(ナイル・サハラ語族)も南下した。
 古くから肥沃な土地が広がり、さまざまな人種・民族・文化が入り混じって発展してきたウガンダ一帯に、やがて西からチュChwezi/Cwezi)と呼ばれる半ば伝説的牛牧民が侵入、(ここの先住達を征服し、その影響の元、この地にはブニョロ王国、ブガンダ王国,トロ王国,アンコーレ王国などが次々と起こり、覇を競った。

これらの王国のうち、当初はブニョロ王国が強大だったが、17世紀半ばを頂点に衰え始め、代わって19世紀に台頭したのがブガンダ王国だった。
 ブガンダ王国は他の国と違って、王族にとらわれず戦闘で功績のあった者を長官に任命して地方に配置し、長官を通じて地方を直接コントロールする中央集権を進め、官僚機構も整っていた。

やがて19世紀後半に入ると近代化の波がこの地に押し寄せ、ヨーロッパ列強のアフリカ分割が始まり,アラブ商人によってイスラム教がもたらされ、同時にヨーロッパ人宣教師によってキリスト教がもたらされた。
 その後、この地はイギリスの保護領となり,ブガンダ王国は他の王国と同様、ウガンダ内の1王国として存在した。
 ウガンダは諸王国の緩やかな連合の形で、196210月,ムテサ2世が象徴的な大統領となり、イギリスから独立した。

その後、アミン大佐によりムテサ2世が国外追放となり,諸王国連立時代は終焉となり、オボテ大統領による統一ウガンダの時代となるが、そのオボテもアミン率いる軍隊に国外追放された。
 アミンは大統領となり1971年から1979年まで恐怖政治を敷いたのはあまりに有名である。

 

ここから少しだけ、「アフリカの真珠」と言われたウガンダの観光地を、場所だけ紹介します。

カンパラ市内と近郊、②カスビのブガンダ王国歴代国王の墓、③ブウィンディ原生国立公園、④マーチソン・フォールズ国立公園、⑤ルウェンゾリ山地国立公園、⑥キバレ森林国立公園、⑦クイーン・エリザベス国立公園など、どこも素晴らしい観光地です。

 

次回も東アフリカの国々を紹介します。

引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )

アバター
2022/10/01 15:54
アミンというとても残酷な方がこの国を率いてましたが
アミンはまた元ヘビー級ボクシングのチャンピオンで,アントニオ猪木との異種格闘技戦も行う予定だった。
そのアントニオ猪木は、今日お亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りします。
アバター
2022/09/30 07:18
ウガンダと言えば

アミンという大統領がいた国だったような記憶が・・・



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