空
- カテゴリ:日記
- 2012/01/09 17:06:48
3・11の本震が止んだ瞬間の空の在り様を、私は生きている限り、決して忘れることはないでしょう。
空が、血で染まったのです。
『ああ、この地震で、いったい、どれだけの、いのちが・・・』
この震災で、およそ2万人のいのちが失われました。
関東から東北に流れて来て10年。夕焼け空の美しさに、福島をふるさとと定めて5年。
私には、福島以外に、行くべき土地はないのです。
昨日は、1月としては比較的穏やかな日でした。日曜午後は、仮設住宅訪問の日。私は、親方の息子さんと、仮設住宅に義援物資のバスタオルを届けて回りました。
普通なら、受け取っただけで、帰ってくれと言われて当然なのに、みなさんは、辛く苦しい生活の内容を、15分以上語られます。
私も、辛い。
何もしてあげられないのです。
ただ、阿呆のように、ゴメンナサイと、頭を下げて歩き回ること以外に・・・。
帰り道。
歩道に大量の血が流れていて、男性が倒れており、3人の人が囲んでいました。
息子さんは、速攻で車を止めました。
「意識ははっきりしてるんです」
「救急車は?」
「呼びました」
70歳前後の男性、障害物につまずいて前向きに倒れ、0.5メートル四方の道路が真っ赤に染まっています。
男性が起き上がろうとします。
息子さんと私は、何も考えないで、男性を後ろから抱え、私が脈を取りました。
『ちょっと速いけど、意識があるから、いのちに別条はないだろう』
まもなく、救急車到着。
我々の役目は終わり、車に乗り込みました。
「私は、あんなに大量の血を、初めて見ました。Aさん(岩太郎のリアネーム)は?」
「私もです・・・」
しかし、我々には、何の驚きも、自慢したい思いも、ありません。
3・11に向こう岸に渡られた2万のいのちの想いを、淡々と、粘り強く、子どもたちを放射能から守るという使命を果たすことによって継承せねばならないからです。
みなさん、どうか、東北を福島を、忘れないでください。
あの日、血で染まった空に、七色に輝く虹がかかる、その日まで。
↓ 紅の云う通り
忘れない 忘れられないよ
1/17 ・ 10/23 ・ 3/11
そして…12/26 ← この時の津波 決して対岸の火事ではないことを
私たち 日本人は 3/11に思い知らされたのだから。。。
そして チェルノブイリに見た 原発事故
これも 3/11以降 チェルノブイリを上回る 地球上最悪の事態だとも言われてる
歴史は繰り返される とよく云うが
それが活かされること 願って止まないよ
どちらも大阪の方は被害がなく(一部の地域だけでした)
私はノホホンと毎日を生きている。
私の方こそ申し訳ない。
岩ちゃんが「ごめんなさい」なんて謝るのはおかしい。
岩ちゃんはよくやってるよね。
偉いよ。
すごい。
放射能から子供たちを守ることは日本人の使命です。
私だったらちゃんと対応できたかな・・・
メール送信が不具合なんです(;-ω-)ゞ
軽んずるな、命を。それでも人は生きていく─
やっぱり人間って、強いですね^^