中島敦・彼の思想
- カテゴリ:小説/詩
- 2022/05/06 06:36:42
~ひとりの小説家の人格と人生を理想化して語るほど愚かなことはない。その小説家の人生への冒瀆である(作者不詳)~
皆さんも、高2の現代文で、『山月記』を習ったのではないだろうか?
その作者こそ、33歳で夭折した悲運の文豪中島敦である。
20世紀を代表する重厚な小説家である中島の作品は、日本百名山の深田久弥等の手によって、中島の死後世に出ることになる。つまり、生きているうちは全く報われなかった作家なのである。
彼は少年期を植民地時代の京城で過ごした。後に、支配階級である日本人官吏の傲慢さに腹を立てたという記述がある。
そして・・・
彼は、重病の療養を兼ねて、当時日本の植民地であったパラオに教科書編集員として赴くのである。つまり、一官吏として。
私は、中島のパラオ時代の小説は一読しただけで、精通はしていない。
よって語らぬ。
私がこの稿で語りたいのは、中島の代表作、『山月記』、『李陵』に代表される中島の思想。
~人間は存在しているだけで悪である~
である。
『山月記』の主人公隴西の李徴は、エリート官僚の地位を捨て詩作に耽るが世に認められず、狂気が沸点に達して虎になってしまう。
李徴の最後の拠り所となったのは、家族愛ではなく、自らが人間であった時に詠んだ詩であった。
『李陵』で、武帝を諫めて男性器を取られる宮刑に逢った司馬遷は、刑執行後、呆然として気付く。
「自分に悪い所はない。他者も究極の悪ではない。つまり、自分が存在しているという事実が絶対的な悪なのである」
そして、淡々と、名著『史記』を書き上げてゆくのだった・・・
つまり。
人間存在自体が悪であり、救いはない。
私もそう思う。
ならば、詩作あるいは創作をする人間にとっての最後の希望は。
自分で書いた作品である。
私もそう思う。
「どうか笑ってくれ。私は、こんな浅ましい姿に成り果てた後でも、私が創作して応募した新潮新人賞を受賞することを、なおも夢見ているのだよ」
いや。
たとえ世に受け入れられなくとも。
創作こそが、私の希望なのだ。
きっと、中島敦の最期の希望でもあったろう。
了
存在自体が悪であるなら、どうして、人は生まれてきたのでしょうね?
救いのない世界を、どうして、人は何を求めて生きているのでしょうね?
となると、自分が存在しているという事実が悪なのではなく、自分にとっての悪がこの世界にはあるということではないかと?この世界は善と悪が裏表であるような気がするのです。
救いがないのではなかったと思います。
詩作、創作に打ち込むことでの救い。
また、それが使命となり、自分を救っていったのではないかと思うからです。
書くことがスラスラでてくるひつじさんを尊敬しちゃいます☆
小説家って、こういう方がなれるんだろうなぁって思いました。
私も電車の中で本読もうかしら。。。
岩太郎さんの頭の良さにはついていけませ~ん。
私なんて本を読んでも、その時だけで
3日も経てばすっかり元通りです^^;
新人賞取ったら
P限定プレして!
余談ながら、アニメ『文豪ストレイドッグス』における中島敦少年は、虎に変身する異能があり、元殺し屋の美少女・泉鏡花と同棲する武装探偵社職員なのでありました。「青空文庫」に、中島敦の泉鏡花作品に関する論評があり、そのあたりから、アニメではそんなふうな設定になっているのかもしれません。