体感と崩れ
- カテゴリ:30代以上
- 2012/12/11 17:29:04
かつて大江健三郎が、島尾敏雄の文学を「体感と崩れ」と称したが、その一点からすれば、もはや、文学は到底、2012/12/11時点の日本の現実に追いつけない。
オレは要らんと言えば要らん事を知り過ぎ、もしも日銭を稼ぐ日々が続いていなければ、「知り過ぎた」、という一点で、傍迷惑な運動を始めていただろう。
しかし。
オレの世界では、知識はさほど重要視されない。過去の事実を知っていたとて、それだけで未来は変えられない。
オレは道具に過ぎないから、オレというカンナを研ぎ、日々の雑事を微笑しながらこなし、人の他愛もない悩みを聞き、そして、来るべき日に備えるのみである。
過去と他人は変えられない。
オレにとって最も重要な事は、道具として合目的的に生き切る。
それあるのみ。
真実は痛みを伴うけれど、本当の痛みを知ったうえで
この人生を戦いぬきたいです。
一応、その日を見届けますよ゚(゚´Д`゚)゚
そう思うことはある。
そういう信仰もあるのかもしれない。
かなり苦しそうに見えるけれど・・・・。
男性と女性の信仰の在り方は違うのかもしれない・・・。
神さまは人間を道具として造られたわけではない。
神さまは私たちを「子ども」として愛しておられる。
人間の中には自分の子どもを道具やブランド品やペットのようにしている人もいるかもしれないけれど。
もし、人に「道具」として使われているのならば、それは問題だと思いますが・・・
道具をつかうのは誰なのでしょうか?