Nicotto Town


イワナくんヤマメちゃんいらっしゃ~い


旧仮名小説・軽井沢にて


「べつに、そんなことは、だうだっていいのよ」
 ヴァイオリンの先生、お姉さまは、優しひ微笑みを浮かべながら仰つた。
「え?かるいざわ、でも、かるいさわ、でも?」
 朝の爽快が引けて、浅間山の麓に開けた高原にさえも気怠い暑気の先鋒が近づきつつある、真夏の午前十一時半。
 ヴァイオリンが上手く弾けなかつた悔しさから、僕は、さういふ、謂わば、意味論には繋がらない話題で、自身の技能の稚拙を覆い隠さうと試みたのだ。
 お姉さまは、まだ微笑していらつしゃるが、それは、いつかは問われなければならない、ひとつの質問の種子を蔵しているに違ひない。
 僕は、自分から仕掛けられない。子供なのに。
 向こう見ずに挑んで敢え無く失敗し、大人から愛されるといふ子供らしさを、僕は持ち合わせていなかつた。
「たっちゃん。ひとつ聞いておくわね」
「何?」
 お姉さまは僕の従姉妹。僕は表面上は馴れ馴れしかつた。
「音楽家を志すなら、そろそろ覚悟を決めなくてはいけないわ」
 昭和48年夏・・・
 僕は8歳だつたけれど、音楽の才がないのは自分で判ってゐた。
「楽しひだけじゃ、駄目なの?」
 やっと言えたが。
『お姉さまと一緒に音楽に浸れれば幸せなんだ』
 僕はませていたけれど、そんな事は口に出しては言えなかつた。
「実はねえ・・・」
 お姉さまは結んでいた口を解いて、こう云った。
「たっちゃんにヴァイオリンを教えられるのは、この夏が最後なの」
「えっ・・・」
「わたし、お嫁に行く」
 僕は、周りの世界がすべて遠のいて、影と光だけになつてしまったやうに感じた。
「だから、ヴァイオリン奏者として生きるなら、しっかりした先生に師事して」
 僕から光は去った。
 もう、その美しい手が奏でる旋律に心を休めることもできないし、控えめでほのかな香水の匂ひに何故か後暗いときめきを覚えることもないのだ。
 お姉さまは、バッハの無伴奏なのに敢えて常識を覆す奏法のやうな軽やかさで、僕に告げた。
「さあ、お昼にしませう。今日は、たっちゃんの大好きな、ハッシュド・ビイフよ」
「うん」
 僕は、気もそぞろだつた・・・。
                                了

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2013/06/15 22:42
何か昔の話風の文体?
でも昭和48年て~と・・・
そんな昔ではない様な^^;
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2013/06/15 21:46
えっと・・・長くなるけど書いてもいいのかな。

NHKの番組で日本文学を海外に出す問題点を特集していたとき。
日本の出版社が翻訳者を大切にしていない。
翻訳者が翻訳業だけで食べていける、そういう人がもっとたくさんいなくちゃいけない。
国がもっとアニメでなく日本文学を輸出していけるようにお金を出さなくてはいけない。
そんな内容でした。

あの方は文章がとてもきれいで大人が読むにはいいのだと思います。
でも彼はYA文学紹介の旗振りリーダーのポジションにもいます。
青少年がもっと読めるようにするには
文章に躍動感や親しみやすさが必要だと私は思います。
同業者でも意見は違いますが・・・
有名な翻訳者というだけで購入するという現状もあると思います。

私は原文を見てるわけではなくて
日本語を読んでる感覚的なものなんですけど。
子どもの視点に立って読む努力がもっと必要なんだと苦労してます。
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2013/06/11 11:38
ハッシュド・ビイフのなんとも耳慣れないおごそかさに、
驚愕・陶酔していた自分であるのに、
いきなりハッシュ・ドビンムシが脳内に点灯し、
いかりやチョウスケが例のセリフをつぶやきました。。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」 

続編を希望しますが、受験勉強はいいのですか?
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2013/06/10 20:02
昭和のカヲリ(かほり)がしました(´∀`*)

読んでいて、小学生の頃を思い出しました。。。
お向かいの家はピアノ教室でお兄ちゃん2人(高校1年生と小学6年)がバイオリンを持っていました。
ピアノ練習の後、時々バイオリンを弾いてもらった記憶が蘇ったわ~♪
それから間もなく家庭の事情で東京に引っ越してしまったのよね。。。
今頃、あの2人はどうしているのかしら?っていう甘い記憶ww
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2013/06/10 15:09
「田中コウタロウ」が読書の邪魔をします;;←多分選挙対策カー

ブログに合わせてのコーデですね^^
で、頬にキスはあったんでしょうか〃ヮ〃 ちょっとワクワクしてます♪
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2013/06/09 20:57
こういう文体って昭和何年くらいまで書かれていたのでしょう。
きれいですよね^^
文学史をきちんと勉強していないのが痛いなぁと思います。

手元に図書館から借りた「abさんご」がありますけど
すごく手ごわそう。
ものすごく長いひらがな散文詩なんだもの。
購入して気が向いたときにゆっくり読むことにしようかな・・と悩み中です。



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