ノーサイド
- カテゴリ:人生
- 2013/12/02 00:49:17
昨日のラグビー早明戦の後、ユーミン(松任谷由実)がラグビーをモチーフにした歌、ノーサイドを歌った事はご存知の方も多かろう。
オレは、その事実に関して何も言うことはない。
TV放映枠に入らなかったので、オレはyou-tubeで見た。
それだけのことである。
結論から言おう。
これは極めて私的なブログである。
ユーミンという存在は、オレの中では、ものすごく大きい。
荒井由実時代のLP(CDはまだない)は全部持っていたし、アルバム『ひこうき雲』は、擦り切れるほど聞いた。
大学時代の出来事は、ユーミンか松田聖子の当時の歌を聞けばありありと思い出すことができる。
そして、1987年11月。映画『私をスキーにつれてって(私スキ)』が公開され、大ヒット。劇中歌はユーミンの名曲が並んだ。
しかし。
オレはリアルタイムでその映画を見ていない。
入院中だったからだ。
反村上春樹的に言えば、完璧に絶望していたオレは、病の中でもがきあえいでいた。サーフ&スノーどころではなかったのである。
数十年経った今でも、病は完治していない、20代に比べればだいぶ落ち着いているし、有難いことに仕事も出来るけれど、予断は許されない。
病で20代を棒に振ったオレは、30代、とにかく仕事ができるようになったことがうれしくて、また、空白の10年分のユーミンのアルバムを全部そろえた。
しかし。
当時DVDだった私スキをレンタルビデオ店で借りてきて再生し、オレがものすごく好きな曲、『A Happy New Year』が映画のバックに流れた時、オレはビデオを止め、部屋でひとり泣いた。
オレは、20代を、病気で棒に振ったのだ。この事実は如何ともし難い。
以来、その映画は、オレにとって鬼門となった。
本来なら、冬を飾るユーミンの名曲と共に通過するはずだったオレの20代は、音のない、病院の白い壁に塗りつぶされていたから。
時は流れ、同級生にもリアおじいちゃんが何人も出現し始めた齢になっても、オレはまだ、欠落した20代を引きずっていた。
オレは怖いもの見たさのようにして、you-tubeで細切れに上がっている私スキの名シーンを見た。
単なる辛さではなく、 何か、自己存在の欠けのような感覚を覚え、やはりたまらない気持ちになった。
しかし。
ラグビー早明戦の後でユーミンが『ノーサイド』を歌うと知った昨日、オレは不思議な感覚に捉われた。
オレもまた、大学時代ではないが、ラグビーをやっていたのである。つまり、ラグビーの試合に出た者のみが知る、ノーサイド(試合終了)の実感を、知っているのだ。
極々私的で、正直な気持ちを言わせてもらえば、ノーサイド後、何のイベントも催して欲しくはない。ただ、黙々とグラウンドを去りたい。
ユーミンが国立競技場で歌った動画を見る前から、オレはこんな感じがしていた。
『そろそろ、オレの中で、ユーミンを終わらせる時がきたのかも知れない』
そして、オレはyou-tubeの動画を見た。
ただ、それだけのことである。
しかし。
オレの中で、はっきりと、ユーミンの曲をバックに展開される私スキのシーンから、オレの感傷の黒衣が取り去られたような気がしたのだ。まだ動画は見ていないが、確信めいたものはある。
あと何年、生きられるかは分からない。
でも、人生は60からって言うじゃないか。
20代の欠落した7年なんて、人生の10分の1以下かもよ。
歌って不思議 その歌を聞くとその歌が明るかろうが 暗かろうが 関係なくその時の自分の状況を想いだす、
「ノーサイド後、何のイベントも催して欲しくはない。ただ、黙々とグラウンドを去りたい。」
そうでないと違うもの・・になっちゃいそうだからかな・・・
過去は変えられないけど 未来は変わっていける 。変われるよ^^
原田知世にすごく憧れた❤
あの髪型と白いスキーウェア・・・真似したかったわ!
岩ちゃんはあの頃は病院だったのね。
でも今元気で毎日を一生懸命生きてるから
こっちの方に意義があっていいと思う!
そして、おめでとうございます。生まれ変わったわけではないけれど^^; 新たな人生にね
ヘッセ風にいえば、そこには孤独と憂愁に満ちた青春の甘美な喜びがたっぷりあったかもしれません。
これからでも日々大切にしたいと思いました。
空白といっても、娑婆(?w)で生活していたので岩太郎さんとは状況がまったく違うけど、
できることなら10年前に戻りたいです;;
ちなみにユーミンの「中央フリーウェイ」(ビール工場と競馬場)、あれ私が住んでる町です^^v