喜多方ラーメン伝説
- カテゴリ:グルメ
- 2014/12/26 17:30:22
その伝説の主人公は、オレが尊敬してやまない義兄(姉の夫)である。
時はバブル時代、1980年代後半にさかのぼる。
休日の朝、義兄一家は、4人でテレビを見ていた。喜多方ラーメンの有名店、「まこと食堂」が特集されていた。
義兄は、「出かけるぞ」、とひとこと。車に妻(オレの姉)、当時小3の長男、幼稚園年長の次男を乗せて、神奈川県相模原の家を出発。
「父さん、どこ行くの?」
「もちろん、福島県の喜多方の、まこと食堂だよ」
「わあい。やったあ!」
最初、姉は、夫が冗談を言っていると思っていたらしい。
しかし、東北道に入った時点で、夫の本気に気付いたという。
「ええっ!今日は、家事が山ほどたまってるのよ!」
姉は当時、公立小学校教員を勤めながらの主婦業。顔面蒼白になったという。
しかし、うまいラーメンを食いたいという義兄の思いは、車を北へ北へと走らせた。走行距離おそらく350キロ近く。
義兄一家は、まこと食堂のラーメンにたどり着いたのだった。
後日、オレは姉に尋ねた。
「一泊とかしたの?」
「日帰りよ。帰りは夜中ww」
「帰りは温泉とか入って帰ったんだよね」
「ぜんぜん。そんなのはなかった」
「じゃあ・・・」
「そうよ。ただ、ラーメンを食べるためだけに、往復700キロよ」
「す・・・すげえ」
「あの人は、一度決めたらやり通す人だけど、まさかね・・・」
姉は、苦笑するしかなかった。
しかし、義兄が、うまいラーメンを食べられたのは、それが最後だった。義兄の健康には姉も非常に気を使っていたので、遺伝によるのかもだが、その直後、重篤な糖尿病に罹り、ラーメンはおろか、うどんも、白米も、厳禁になってしまったのである。不思議な、白滝のようなものが主食になってしまった義兄。
しかし、義兄は、病気が辛いとか、人生が辛いとか、一度も愚痴ったことがないと、姉は言う。どこかのアホは、見習うべきである。
義兄は立派に仕事を勤め上げ、一昨年、定年退職した。今は3人の孫に恵まれ、妻(オレの姉)と、オレの実母(86歳)と相模原で静かに仕合せに暮らしている。
* * *
オレも、病気になんか負げらんにい!
今日、郡山発朝8:31の電車に乗って、オレは雪国、喜多方へ向かった。
会津若松着9:47(雪で7分遅れ)。9:53発。喜多方10:20着。
オレのお目当ての伊藤食堂は11:00~なので、大和川酒造の蔵を見学。
そして、77歳のおやっさんが経営する、伊藤食堂へ。
ああ、うんめえ。うんめがったよお。
本来なら名前を出したくない隠れた名店であったはずが、福島ラーメンの本に紹介されっちまったもんだから。忙しくなりすぎて、おやっさんが倒れないか心配です。
さてと。義兄さんには負けるけど、オレも、オレの喜多方ラーメン伝説を作るとするか。
オレは駅に直行し、喜多方発12:35の電車で帰途についた。
蔵には寄ったけど、喜多方滞在2時間15分。
伝説を負う男として。
義兄さん、姉さん、母さん、オレも、病気には負けませんから。
そして岩太郎さんもやりましたねwww