オリンピックに出場するということ
- カテゴリ:スポーツ
- 2016/08/08 21:23:22
別に自慢話をしたいわけではない。オレの従兄は、もう30年近く前、三段跳びでアジア大会に出場した経験がある。
彼が、しみじみと、こう言っていた。
「ある程度の才能と努力で、国体、インターハイ、もっとがんばってアジア大会までは出れた。でも、オリンピックは全然、世界が違う。僕の努力なんかでは、どうにもならなかったなあ」
「慶ちゃん(オレは従兄をそう呼んでいた)、違いって、運?」
彼は、うなずきも否定もせず、ただ微笑するのみであった。
ずっと後日、オレは、司馬遼太郎の国民的小説『坂の上の雲』を読破。なぜ、日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊の艦船をすべて沈めることができたのか、という問いに対し。
「それは七割、運でしょう」
次に、残りの三割の要素は何かと問われ。
「残りも、運でしょう」
と、確か、当時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎が答えた、という下りに感心した。
「では、全部が、運。ということになるではありませんか?」
「そうです。しかし、残りの三割は、自分たちの努力で引き寄せた運です」
未引用なので、ことばは大分違っていると思いますごめんなさい。
才能があって、努力するのは当たり前。人並み外れて努力する集団の中で、ある種の運(天運?)を引き寄せた者のみが出場を許される(自論)オリンピックは、今、たけなわである。
凡人にはないオーラを感じます。
従兄さんもアジア大会に出場なんてすごいですね^^
きっと私にはないオーラが出てるはず!
三段跳びでアジア大会ですか!
それは凄いですね('_')
為になるお話、勉強になります^^
義弟さん、オリンピックに出れたってとてつもなくすごい経験なされたんですね
今オリンピックの中継見てても、選手の方はそこらへんにいる人と顔つきが違うというのは感じます。