Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


似て非なるもの。進化と競争。

進化とは何か。


普通、説明されるのは次の通り。
 突然変異がポコポコ起きている中、環境に適応した個体が世代交代とともに生き残り適応していく過程、変化。

これは、どのように、が説明されているけど、なぜ進化するのか。が説明されていない。生命という遺伝子レベルに組み込まれているものとしか言いようがない。
突き詰めれば「生きること」「生命」につながる難しい問いになってしまうので、今回はもう少し表面的な話から、どかーんと大きな話を。

 
メダカがカヤシカという外来種に、日本ザリガニ(灰)がアメリカザリガニ(赤)に駆逐されたり、人間環境に適応したゴキブリやカラスが繁栄したりも、この進化と呼ばれる現象の一部だ。

人類、ホモサビエンスは、有名どころでは、ネアンデルタール人やホモエレクトロスなどの他人類を滅ぼしてきた。これもまた進化だ。

この進化があるために、種は競争し、厳しい環境の中で、その環境にあった強さを持つ個体、種族が生き残り、繁栄してきた。

昔、アンドロイド研究の中で、「不気味の谷」現象というのが言われた。アンドロイドがリアルに近づくにつれて嫌悪感を感じるようになり、どこからか普通の人間として好意を持つようになる。

考えてみると、進化というのは同じ環境の中での生き残り競争だ。だから、同族で似たものは競争相手なので、嫌悪し、敵として排除したくなるのかもしれない。
完全に違っていれば、無関心になるし、ほぼ同じであれば、同じチームの仲間として好意を持つのだろう。

日本はお隣の韓国や中国と仲が悪い。今も、歴史的にも。
遺伝子的に近く、しかし異なることが、この感情を生んでいるのかもしれない。

企業の競争も、そうだし、国間の戦争もそう。
昔は、村同士の競争もあった。
人としての競争心、プライド、虚栄心、パチンコ、ゲームもそうだ。


僕たちは「人間らしさ。」と言いながら、実際には「生命としての進化」に「人間的な技術」のスパイスを振りまいたものに振り回されていると言える。

さて、やっと本題。
この進化において、近くて似たものを排除する嫌悪バイアスは、種を分化させる方向に働く。これも、また進化のメカニズムの一部なのだろう。分化させ多様化を生み環境変化しても、生き残らせる。

人類もそうだし、動物も、生命体全般もそうなのだが、上記のような分化がなければ、種、族といった分類は生まれず、生態系に多様性は生まれない。
この人、好き!、この絵、綺麗。この、嫌い!この料理、まずい。

といった好悪の印象、感情というのは人間的というより動物的な印象があるが、とても重要な気がするのだ。何故ならば、この世界は、物質にしても生命にしても多様性、分化された結果だからだ。


僕たちが、生態系という一つの生き物の、一細胞とした時に、その細胞の集団がそれぞれの機能を、人間の社会活動という名で果たしている。とみる。多分、その時の、機能の分化や、機能そのものにおいては、好悪といった動物的な「感情」が論理を上回ることが多い気がするのだ。なぜなら、論理は人類が生まれてからの経験則だが、感情はDNAに刻み込まれた生命としての経験則だからだ。


さらに展開する。

なぜ、僕たちの惑星は、太陽系だけ見ても、こんなに多種多様に分化しているのか。物質は、なぜ一種類でなく何種類も存在しているのか。多様性が確保されており、時間経過においても多様性を増やす方向に向かっているのか。



さすがに火星と地球は、嫌いあってはいないと思うが(人間の概念においては)、SFで描かれるのは、だいたいが惑星間戦争であったりするのが不思議。

さて、これ以上は不思議なので考えても不思議なので、また考え続ける。

まとまりなくて、すいません。




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