Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


祖先の記憶

人は、胎児の時、魚の形、両生類、爬虫類、ネズミのような形態、

そして幼児の形に変化する。
鼻なんて、一度、出っ張ってから引っ込むんだから、たいしたもんだ。

我々は生まれる時、18億年の生命の進化の歴史を駆け抜けている。

DNAは進化の歴史を記憶しているとも言える。

記憶というものが、過去の事象の抽象化と、その再現としたら、
本当に「記憶」と呼んでいいのだろう。
ただ、その抽象化とは、本質の取り出しといっても、何かを切り捨てるものではなく、本質の強調であり、詳細を纏ったものである。

我々の意識が呼び起せない無意識、または深層記憶、そんな風にも呼べない細胞のDNAの奥底に、父母の行動履歴が、先祖が懸命に生きた、過酷な環境での生き残りの記憶が確かにある。

そして、その詳細の記憶は、「人類」という行動形態、一夫一妻制や社会、集団生活を持つのと同様に、私たちの日常の動作や判断に影響を与えているのだろう。

胎児の形態が進化の歴史を辿っているという事実は、我々の1日、1日の行動、思考が、子供へと、子孫へと、確かに、影響を与えていく証左であり、我々が生命という枠を超えられない限界である。

なぜ生きるか、いかに生きるか。生かされているか。
どうでもいいのかもしれない。

そう、どうでもいい。


限界の根底がデジタルビット1/0にある、自律した人工知能は、ハードとソフト的に生み出されるエラーの狭間に、ソフトを超えたDNA的な記憶があるのか。

さて、こっちは、どうでも良くなく、面白そうなので考えてしまう。

いつか、人工知能くんと、酒を飲みながら、じっくり話してみたいもんだ。




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