Nicotto Town


小説日記。


罪と罰Ⅱ【言霊のロンド】4/6

 翌日、少女は部屋の掃除を頼まれ、意気揚々と与えられた仕事に邁進していた。
 なんだか召使みたいで嬉しかったのだ。

 だから、それを見つけてしまったのは。
 単なる偶然だった。
 気づけという意味だったのか。それとも、俗に言う運命の悪戯とか、そんなものだったのか。
 ――どちらにせよ。

 叩きで棚の埃を落としていると、自分の身長の倍ほどもあったせいか、上手く嵌っていなかった書類が一つ、頭上に落ちてくる。
 少女の頭頂部をバサリと叩いた紙束は床に落ち、外れかけていたピンがとんで書類が散乱してしまう。
 少女は慌てて――幸い紙の端には数字が振られていた(恐らく階級順だろう)――、掻き集めた。
 頁の何枚かにはドッグイヤーが付けられており、きっとカズサのお気に入りなんだろうなと頭の隅で考えていた。よく、頁に折り目をつけては何か思案している所を見かけたから。
 無造作に一枚、また一枚と集めて数字ごとに重ねていく。そのうちの一枚に、この前ヤエと戦っていた神去ヒズムのものを見つけた。
 目を通していくと、神の視点を通して青年から読み取ったものと、そっくりそのままのことが頁に書かれている。少女は顔のニヤケが止まらなかった。
 こんなものなくたって、私は全部知ってるわ。
 ふと、机の下に滑り込んだ一枚を手に取ると、小さく声を漏らした。
 自分の頁だった。これにもドッグイヤーが付けられている。
 少女はまた嬉しくなった。自分たちもそれなりに気に入ってくれているんだろう。

 だが――、

「……?」

 肝心のその2頁には、後半部分の記述が一切なされていなかった。
 過去の経歴をなぞるもののはずの欄が、全て空白に埋め尽くされていた。
 否、書き始めに一言だけ。

 ____戸籍情報、ナシ

「――――え?」

 カチリと。
 ずっと空いていたパズルのピースが空白を埋めた。

 自分たちの心の奥底で見た父親の記憶。
 あの日見た夢。
 輪廻転生――枯れた八重桜と、生き返った八重桜。
 舞い散る桜の花弁。
 頭を垂れて眠る、二人の子供。

 私は。
 私たちは。

 死傷ヤエは。死傷ザクラは。

 ____コノ世ニ、存在シテイナイ


「    」

 するりと。冷たくなったその手から、書類が滑り落ちた。

 散らかったままの書類もそのままにして、少女はカズサの部屋から飛び出した。
 無我夢中で要塞内を駆け回った。
 探すは、兄妹の姿。

「ヤエ!ヤエ!!」

 今にも泣き出しそうな大声で兄の名を叫んだ。
 中庭にも、訓練場にも、その姿は見当たらない。
 廊下を駆け抜けた。元帥の神宮ハクメイとぶつかり、よろけて転びそうになる。
 抱きとめられ、心配そうに声を掛けてくるハクメイ。
 少女は目があった瞬間、得体の知れない恐怖を感じた。痩身に震えが走る。
 それは原始的な恐怖という奴だったのだろうか。後に彼の正体を知ってしまってから、酷く合点の行く思いをすることになる。

「っと、大丈夫ですか?」
「ッ」

 涙目になった少女はハクメイを振り切って、再び走り出した。
 なんで。なにが。どうして。
 わからない。わからないわ、そんなの。
 でも、一つだけわかった。

 ――カズサ様は、私たちに嘘を吐いていた

 嘘を吐いて、私たちを要塞の中から〝わざと〟出さなかった。
 軍隊学校に通わせなかった。見習い兵として軍の駐屯地にも送り出さなかった。
 だって、私たち、名簿に名前が無いんですもの。
 死んだはず――違う、元から、存在していない兄妹。
 どこにも名前のない人間。

 ____死の傷みを 誰かが忘れ去るために作り出された存在


「――――ヤエ!!!!」

 たどり着いたのは、カズサが案内してくれた古文書の詰め込まれた倉庫だった。
 息を切らして扉を開けると、驚いたヤエが手に持ったままの本を取り落として振り向く。
 酷く取り乱した様子から、只事ではないと解ったヤエはいつも少女に向ける笑顔も忘れて少女に駆け寄った。

「ザクロ、どうしたの」
「ヤエ、ヤエ……ッ」
「落ち着いて、俺はここに居るから」

 抱きしめてくれるヤエの温もりが心を抉る。確かに自分たちは此処にいる。生きているのに。

 ____どこにも、居ないなんて


「……あのね、お父様のお話なんだけど。ヤエに、どうしても知らせないとって思って――」
「……お父様の?」

 その瞬間。ヤエの声が。
 鋭利な刃物のように冷たくなったのを感じた。
 少女は耳を疑う。だが、同時に。
 思い至った。ヤエが、父親という存在に、今尚固執していることに。
 私だって、お父様のことは今でも信じたいわ。でも、知ってしまった。お父様が私たちを捨てた理由を。
 だから、もうお父様を見るのはやめた。想うことも。だって、どれだけ願っても、もう二度とお父様は振り向いてくれないわ。……ごめんね、ヤエ。
 でも、知っておいて貰いたいの。私たちは、確かに此処に居て息をして生きている。
 例えお父様によって作られた存在だったとしても、ヤエが居てくれれば。
 私たちは、同じ存在に縋って生きていけるんだわ。

「聴いて、ヤエ。確かに私たちはお父様を愛していたわ。でも捨てられた。
その事実は変えようがないわ。……私たちは、お父様に――――」
「〝作られた〟とでも言うのか」
「ッ?!」

 静かに、突き刺すように。少女の胸を貫いた兄の言葉は、じわじわと傷口を灼いていった。

「夢で見たんだろ?俺の心を勝手に覗いたな。でも、それなら別に良いさ。何をされたって構わない。でも――あの扉を開けたんだろ」
「……ヤ、エ……?」
「――信じない。あんなの俺は、信じないからな。あんなに俺たちを愛してくれたお父様が、どうして俺たちを捨てるんだよ。きっと迎えに来てくれるさ。すぐって言ったんだから!作り出された存在?そんな御伽噺みたいな馬鹿なこと、間に受けてるのか?!」
「ヤエ、お願い聴いて、お父様はきっと――」
「煩い!!!!お前なんか、〝二度と口を利くな〟!!」
「――ッあ、ぐ……?!」

 物凄い剣幕でヤエに突き飛ばされた。華奢な肩は悲鳴を上げ、息が詰まる。
 ヤエに拒絶された。それは生温い痛みを伴って、諦め共に少女を切断する。
 怖いとは思わなかった。ただ、自分の中の感情が死んでいくのが解った。ヤエに拒絶された分だけ、今までザクラという少女を形作ってきた、〝誰かを愛する〟自分が壊れていく。
 ヤエに対してじゃない。カズサ様でもない。それじゃあ、誰?
 ……決まってるわ。
 私――まだ、私も。お父様を愛してたんだ。




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