Nicotto Town


小説日記。


企画/短編 1

# - ラベンダーの匂い





「――助けてあげようか」

 碧い海豚は言った。
 瓦礫の山の天辺に座し、足を組んで私を見下ろす。
 紫色の髪をした男は、まるで、〝神様〟みたいだった。

「未来を変える力をあげる」

 猫みたいにギラつく、金色の目。
 軽薄そうな女顔を歪ませて、長ったらしい前髪をかきあげて、男は言った。

「どんな代償を払ってでも、叶えたいんだろう?」

 それは、悪魔の囁きだった。
 
「だったら、お願いしてみなよ」

 ごうごうと燃え続ける、紅蓮の炎。
 私は、泣きながら、小さな手を伸ばした。

「助けて」

 その男は、〝神様〟なんかじゃ無かった。


火事。

燃え落ちていく家が、脳裏に焼き付いていた。
視界を染め上げる紅蓮の炎が腕や背中を嘗め、白い肌を赤く溶かしてゆく。
大きな瓦礫が両親を押し潰し、ただ泣き叫ぶだけの自分は、それを呆然と見て、願った。

――こんな未来、いらない

すると碧い海豚が現れて、過去に遡る力をくれた。
1回に1年分の寿命と引き換えに、私は未来を変える力を手に入れた。
あと90回。
たくさん、残っていると思っていた。

7歳の誕生日。
両親が死ぬまでの時間。

その期間を、延々と遡り続けた。

どうあっても火事に巻き込まれて死ぬ両親を助けることが出来ない。
そのうち、自分の身体は成長していく。
両親の元に居られなくなる。
それでも、愛する両親をどうしても、どうしても助けたかった。
温かい家庭がいつかは取り戻せると、馬鹿みたいに信じていた。
盗みを働き、警察の目を掻い潜って、必死で生きていた。

碧い海豚は、「あと50回だよ」と言った。
私は、「まだまだたくさんある」と言った。

気付けば自分の姿は、成人を超えた女性になっていた。
けれども身体に追いつかない未熟な脳は、いつまでも諦めなかった。
ふと、鏡を見る。
やつれ、シワだらけの顔をした老婆が居た。

碧い海豚は、「あと30回だよ」と言った。
私は、「まだたくさんある」と言った。

諦めなかったのはどうしてだろう。
未来を変えることなんて出来ないと、認めたくなかったのかもしれない。

そのうち、鏡を見るたび自分の姿が変わっていった。
時には幼女に。時には少女に。時には女性に。時には老婆に。
同じ時間を生きすぎて、〝時間〟という概念を自ら壊してしまったせいで。

「あーあー。危ないよ」

 腹を空かし、倒れていた。
 薄暗い路地裏には、必然的に怪しげな影もうろつく。
 薄着の少女を相手に、彼らがすることと言えば。

「ねえ、俺が来なかったら処女、あげちゃってたの?」

 ……知らない。
 重い身体をなんとか持ち上げて立ち上がると、鼻を突く異臭が脳の奥までツンと染みた。
 散らばる肉片。
 鉄の臭い。
 血生臭い。

「ねえ、まだやるの?」

 男は言った。
 あの日のように、私を高みから見下ろしながら。

「まだ20回ある」

 私は言った。
 すると男は、

「へえ、じゃあ、頑張りな」

 いつものようにどこかへ去っていった。

ごうごうと燃え盛る炎の中。
火傷の傷すら、もう痛いと感じることを忘れた。

「パパ、ママ」

喉が灼ける。
目がヒリヒリして、開けていられない。
こんなことになるのなら、
こんなふうになるのなら、
いっそ誰かが、
叱ってくれれば良かったのに。

「助けて」

煙を吸い込んだ肺が痛い。
ぼろぼろと零れ落ちる涙が、悲しくて流れているのか、ただ目が痛くて流れているのかすらわからない。
……どうして、両親を助けたいと思ったんだっけ。
もしかして私は、
ただ単に私は、

「死にたくない」

そう、思ってただけだったのかもしれない。

「――もう諦めるの?」

碧い海豚は言った。
私がもがき、苦しみ、絶望に溺れて壊れていくのを、ただ見ていたその男は、〝神様〟なんかじゃ無かった。

「全部君のせいじゃないか。どうして死にたくないなんて言うの?」

助けてあげようかと言ったのは。
未来を変える力をあげると言ったのは。
全部、この男が私を見て、面白がるため。

「ねえ、諦めちゃいなよ」
「っ――!!」

頭が痛い。
吐き気がする。
寒い。
視界が滲む。
ぐるぐると回って、何もかもが嫌になる。

非常ベルの鳴り響くデパートの立体駐車場。
燃え盛る炎。
積み重なる瓦礫。
その隙間から溢れ出す鮮血が、足元を浸す。

助けてよ、
神様、
本当は居るんでしょう?
もう嫌だ、
ねえ、
こんな人生、

「――夢なら覚めて!!!!!!」

絶叫。
裂けそうなほど痛む喉から迸る怨嗟。
立体駐車場の天井が崩れ、轟音を奏でる。
揺れる空気が大きく震え、辺り一体が蜃気楼に包まれて霞んでゆく。
身体から何かが、凄まじい勢いで流れ出てゆく。
冷たくて、熱い。
思考とともに白く染まっていく景色が、やがて消し飛ぶのと同時に、碧い海豚がこちらを見て、笑ったような気がした。



*****

ツイッター交流企画【人畜無街】様より

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