Nicotto Town


小説日記。


毒人参のジュース【短編】1




 分かってましたよ、それくらい。

 最初から、誰も幸せになんてなれないことくらい。

 でも、望むくらい良いじゃないですか。

 ……いけませんか、幸せになりたいと願うのは。



 夢を見ていたような気がする。
 遠い昔の、まだ何も知らなかった頃の夢。
 あの頃は幸せだった。何も知らなくて、何も考えなくて良くて。
 気付けば図体ばかりが大きくなって、見下ろす世界が少しだけ、遠くなった。

「…………お兄様?」

 俯いていた顔を上げ、か細い声の方角を見た。
 いつの間にか、眠りこけていたらしい。
 重い身体を持ち上げては、座り直した椅子に深く飲み込まれるようにして、男は煙管に手を伸ばした。
 情けなく眉を下げる妹の姿を目にしていたくなくて、兄は燻る煙を吸っては吐き出す。
 たちまち部屋に充満する甘ったるい匂いが、肺を焦がした。

「…………もう帰って良いですよ」

 気だるげに答える兄は突き放すように頬杖を突きながら、ぼんやりと窓の外を眺めている。



「そんなんだから、お前は甘ちゃんなんだよ」

 余計なお世話だ。
 そんなんだから話し相手が居ないんだと、言葉にはならなかった。

「良いけどよ、お前、そのあとはどうすんだよ」
「貴方には関係ありません」

 横暴な元牛魔王は、言った。
 翻り残される甘い煙の匂いに顔をしかめる九尾狐は、何も言わずに筆を滑らせた。


 低く垂れ込める雨雲に、少しだけ気が滅入る。
 何度叩きのめしても向かってくる弟に、無表情で棍を構える。
 振り下ろされた如意棒を半身で躱し、鳩尾に突き出した棍が無慈悲に急所をひと打ちにした。
 呻きながら崩れ落ちる弟を、兄は冷めた瞳で見つめている。

「何度教えれば覚えるんですか、貴方は」
「うるさいっスよ、糞兄貴」

 薄く笑う弟の顔を、兄は黙って見返している。


「ねえ雲、囲碁でもしましょうか」

 パチリと打たれる黒い碁石。
 妹は、駆け寄ってきて向かいの席に腰を下ろした。
 言葉も交わさず、ただ並べられる碁石たちが、気の毒に思えた。
 やがて、盤上を埋め尽くす白、嗚呼、いつの間に、こんなに追いやられたのだろう。
 兄は肩を落として、深く俯く。

「…………強く、なりましたね」


「貴方も、早く、強くなりなさい、天威」

 棍を放り捨て、兄は言う。
 傷だらけで這いつくばる弟に、差し伸べる手は無い。


「………………強くなったと、言わせて下さい」

 

*****

オリジナル創作企画⇒七天大聖の子

【続き】http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=385716&aid=62663490




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