人は傷付く
- カテゴリ:コーデ広場
- 2016/11/14 02:27:05
お気に入りコーデ
去年の1月も終わる頃、
「この世界」で一人の友人が亡くなった。
最終的にそれは虚偽だったのだが、
友人が一人「無くなった」事実に違いはなかった。
と、思っていたのだが・・・。
どうやら、それは大きな間違いだったようだ。
「今はどうしているだろうか」とふと思えることと、
「ああ、もう居ないんだ」と気付かされること。
それは、かなり大きな「違い」だった。
ニコッとは、ただのSNSやブログの世界ではなくて、
まずアバター有りき。
この世界の「からだ」が発する言葉で交流している。
これまでの、ブログやTwitterなどでの付き合いよりもなお、
濃く存在が印象付けられる世界なのかもしれない。
人は、傷付く。
傷が増え続けることこそ「生きる」ということかもしれない。
浅い傷も、深い傷もある。
気付かない傷や、まるで無かったように消える傷もあるだろう。
たいがいの傷は治る。跡は残るかもしれないが。
いつまでも治りきらずに燻るのものは「トラウマ」という。
無いに越したことはないだろう。
故意に傷付けたいと思う者の方が、極稀だろう。
それでも、人は傷付くのだ。
自ら躓いたりもして。
だったら、傷こそが自分の歴史であり、自分自身なのだろう。
だから、傷付いてもいいんだよ。
傷は確かに人生だけど、傷だけが人生でもないのだから。
先日亡くなったタケジさんのブログに、
おそらく最後になるであろう更新があった。
そこにコメントを書き込みながら、
私は今夜、初めてタケジさんを憶って泣けた。
やっと泣けた。
やっと、タケジさんの死に向き合うことができたのだろう。
自分の傷に気付き、癒すために涙を流したのだろう。
私の涙は私のためのものだ。
だがその涙がもし、タケジさんに届くのなら。
この涙をしてタケジさんへの最後の献杯としたいと思う。
もちろん、しばらくはビールを見るたび
タケジさんを思い出すだろうけどね。
( ´ ▽ ` )ノ献杯☆
(苦)
図太くなった!
ここまで馬齢を重ねてきたけど、まあその分の場数なのか
傷は跡が残ってもそれなりに癒えることも知ってるからなのか
最近は残される立場だったのを「まあそれもよし」と思うようになってきた。
呆けも進むし、私自身の終わりだってそんな気が遠くなるほど先ではなかろうし、
期間の保障はできないけれど、生きてバカやってたことは覚えておくからまかせとけと。
任せたくなくても諦めろとw
だから今回も「そこは忘れようよ」というクレームが出ないのをいいことに
好きなだけ覚えておくことにしようと思ってる(笑)
忘れることもきっとないと思う。
そうか 自分の分身をみんなに見てもらって 自分もみんなの分身を見ているからか (´∀`*)
どこかにいる と どこにもいない ってのは決定的に違うよね。
どこにもいない が辛すぎるから 人は天国や来世を考え出したのかもしれないね。
人は二度死んでしまうんだって。
実際の身体を離れた時と 周囲の人の記憶から忘れられた時と。
だからやっぱり 私の心のなかで生きている っていうのは本当だなぁって思うよ。