Nicotto Town



エヴァの驚きを私的に総括。


また人様のところで熱くなってしまった。自分の庭でやりましょう。
エヴァンゲリオンといったら、テレビシリーズと旧劇場版で私は終了。他は二次創作。
そんな旧世代のエヴァ観を総括しておきましょう。

1、綾波か? いやいやアスカだろ。

バッカバカしいようですが重要なポイント。母性の象徴vs母を拒絶した少女。
シンジ君の「最低だ、俺……」を劇場で見たとき、我々は顔を見合わせ喜んだ。
シンちゃんやった、マザコン脱却、フラれていいからイケイケ! お赤飯炊こう!

天才ではなく凡庸な秀才に過ぎないことを自覚したアスカの葛藤も見事。
母が共にいると気づいたから立ち直った、と見た人がいたら完全な読み間違い。
あの戦闘は見事な自己崩壊です。自己存在と向き合うことを放棄してますからね。

母とは何か、自分を生み出したものは何かという問いの答えは内に求めねば。
その答えは常に一つ。ちっぽけで、やくたいもない おまえ自身なのだ。
明確ではないのですが、その自覚(傲慢)こそ使途とヒトの違いなのではなかろうか。

「アンタの全てが私のものにならないなら、何もいらない」という台詞が素敵。
好きでもない、憎んですらいる少年にこう言い放ったエゴは自覚と傲慢に繋がる。
他者に規定される自己には意味も価値もない。だから補完を拒絶できた。

この文脈で眺めた場合、エンディングのアスカの台詞は当然です。
あの台詞に激怒して怒号を発し足早に席を立つ若者が何名もいたんですが、
私と仲間は「え? 初めて2人が対峙した最高のシーンで、何で怒るの?」って思った。

だからヒロインはアスカなんですよね、私にとって。え、綾波は嫌いなのか、ですと?
バカをおっしゃい。貞本エヴァの途中まではハラハラして読んでたし、
コミックスの『碇シンジ育成計画』だって綾波を応援せざるを得ない。男の性。


2、本来の『ライブ感覚』

いっぽうバンドマンとして少し真面目に書きますと、本質的なライブ感が魅力。
仲良しのミュージシャンは殆どハマった。我々は物語の整合性を求めてないのです。
内的衝動に任せた疾走感と一瞬に賭けた緊張の残滓、それを皆感じたようです。

後に製作側もライブ感を重視していたと知りますが、そりゃ映像見てりゃ分かる。
25話と26話なんか『創作』の苦悩と葛藤、それでもやってしまう業で溢れてる。
一時期、皆の書く曲や詩が内向的な爆発みたいなものになったのも懐かしい。

パンクやブラックミューシックとはかなり異なるのです、この屈折した衝動は。
攻撃ではなく『内破(インプロージョン)』なんです。それを生で出したい。
このライブ感あればこそエヴァに惹かれたともいえるのです。


3、名作SFへの落とし前のつけ方

今度はSF的な関連、ですがタイトルに引用された作品とは殆ど無縁です。
まずはグレッグベアの『ブラッドミュージック』に比肩できるエンディングでしょうか。
紅く染まった廃墟に残された2人は罪を償うのかもしれません。殺しあっても佳し。

ホセファーマーの『恋人たち』と比べてもいいかな、異種族の恋愛物として。
あちらの恋愛はある意味成就しますが、シンジとカヲル/綾波はもちろん結ばれない。
そういうもんだろう、と思います。でもそれは広義の愛なのかもしれませんが。

バリントン・ベイリーの『ロボットの魂』二部作はどうか。魂ってのは何か。
結局ベイリーは魂を重視したわけですが、実は魂なんていらないんじゃないの?
エヴァも使途も綾波も魂を持たない、でも知的存在。それでOK、ノープロブレム。


4、芸術至上主義に匹敵する『アニメ至上主義』の開祖として

この意味は凄まじく大きい。アニメ立国なんて誰も信じなかったのですから。
たかが『まんが』が大人も政治も経済も動かす立派なジャンルになっちゃった。
それを決定づけた作品として評価するのは私だけじゃないでしょう。

なお個人的には、取り返しのつかないことをやりやがった、とも思いますです。
こういう内容は小説や文学のみで扱い、アニメは子供向きの健全な思想に限る。
そういう法律を半世紀前に作るべきだった。一億総〇〇化を決定づけた作品。

5、総括

はみだしっ子とエヴァってのは永遠の宿題みたいな作品だと思うのです。
それは超えてはならない分水嶺かもしれません。ある意味恐ろしい。
エヴァを超えるもの、それは……昨今のポピュリズムかもしれないと思う私。

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2017/01/06 23:23
ユースケさん連投本当にほんっとうにすみません;;

北杜夫さんは埴谷雄高との対談本で(北さん躁状態)大笑いしました。
じつはあまり読んでいなくて、これから読んでいきたいなと思っている作家のひとりです。

岩波新書のレア本なのですが、『マンボウ雑学記』にも躁鬱のことがかなり細かく書かれていましたね。
かなり昔の本なので、病態をきちんと書いたもので入手しやすいものは貴重だったのでは?

図書館に行ったときの書庫から取り出してもらうリストに追加しておきます。
なかなかすてきな一連のやりとりとわたしについての発見、とても感謝しております。
おやすみなさい、素敵な週末を。
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2017/01/06 23:17
>ヘルミーナさん

私が躁鬱という単語を知ったのは八歳ごろ、北杜夫という作家のエッセイを読んだのがきっかけでした。
彼も躁鬱でしたので、その話題がしょっちゅう出てくるのですが、「自らを笑う」タイプの作家なのが幸いでした。
多かれ少なかれ似た傾向のあった私は、この人の著作でかなり助けられたという自覚を持っています。

『どくとるマンボウ』シリーズは晩年までダラダラ続き、駄作も多いのですが、初期はお勧めです。
『どくとるマンボウ航海記』『青春記』『追想記』『あくびノオト』等は未だに捨てられず本棚の奥にあります。
どれも安価に手に入ると思います。彼が精神病院の研修医だったときの『医局記』も面白かったです。
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2017/01/06 23:06
正確に書くと躁鬱、もしくは躁状態と鬱状態が繰り返す、双極性っていうやつです。
たしかに鬱になりやすい性格だとは思うのですが、完全に器質性っぽく、母方の系が精神か眼を病みやすいのです。ちなみに妹は眼に出ちゃってて弱視です。

いえいえ、ある意味で、自分にはわからない、他者からの分析ってことで、アスカに似ているわたし、あるいは、「アスカに似ていると思っているわたし」のいい分析でした。かなり貴重なものです。

ポピュリズムの件、納得です。
そうですね、……エヴァは答えが出なくても自己や他者と向かいあいあがく、それも大事な過程だと教えていると思います。で、どんどん割り切れる共同体になってゆく、その怖さをひしひしと感じます。
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2017/01/06 22:47
>ヘルミーナさん

うーむ、そこまでアスカにご自分を重ねていらっしゃるとは思っておりませんでした、ご容赦の程を。
鬱は理想の高い方がよく嵌りますよね。私は自分を正しく(ということは卑小さを正確に)認識して乗り切ってます。
冷酷な人柄と徹底した個人主義、エゴイズムのおかげかも知れませんが、これはお勧めできませんね。

ポピュリズムの件、少々舌足らずでしたので補足いたします。

答えが出なくても自己に向かい合う営みが人の宿業であり救いでもあり、エヴァの示した分水嶺だとすると、
ポピュリズムの先にあるのは、集団合意形成で必ず答えが出せる『割り切れる社会』のような集合体であって、
そこから零れる(エヴァの各々が抱えた葛藤など)少数を容赦なく『悪』『不合理』と切り捨てる時代かもしれない。

そういう『善意と幸福』に満ち溢れた社会は、補完計画の成功事例の一つになるかもしれない、と思います。
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2017/01/06 22:27
秀才でさえありませんが、アスカと自分が似ているからアスカが好きだというわたしにとって、
ユースケさんの総括は読んでいて他でもない自分が腑分けされているような感じでした。
そう、旧劇のあの場面は徹底した自己崩壊です。
そして、いまわたしを誘導してくださっている精神世界系の方がいるのですが、
その方によると鬱というのは自己否定、現実と自分との乖離で起きるというのです。

新劇破でも壊れていますよね。
ある意味わかりやすい(かな?)描写だったけど人形と会話したり、
ミサト相手に「他者とつながる喜び」を語ったりとか(おまけにその内容をカモフラージュするようにいろいろいい巡らせているし! エリートは愚民を云々とか

とにかくユースケ様のアスカ総括は自分のことを言われているようで恥ずかしくて半ば読み飛ばしです。すみません。ちなみに、その精神世界系の方もよくわかっているのか、わたしがアスカ好きなのを納得しておりました。

さて、エヴァを超えるものが昨今のポピュリズムかもしれない、どうなるでしょうね。
エヴァ、というかアニメというものはすべて大手広告業者が絡まないと成立しない現在において、エヴァの受容というのは広告業者の脳や神経への操作を軽く飛び越してしまった稀な現象だと思うのです。

そうそう、ベイリーのロボット2部作、手許にあるのですがいまだに読んでおりません。
『ブラッド・ミュージック』はラストよりも自分の体内に入れて持ち出すマッドぶりがたまりませんでした。
わたしもエヴァねただと人様のところで熱くなってしまうなぁ……w



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