Nicotto Town



暴力と恐怖による家庭内統治


私の保守的な部分は間違いなく両親、特に父親の影響だと断定できます。
遥か昔、こどもの権利条約というものの概念すら知られていなかった時代、
「ひと」を「人間」として社会に出すために、暴力と恐怖が用いられましたな。

人様に迷惑かけるようなやつは殺すのが親の義務だと広言し、
怒声と暴言、殴る蹴る投げ飛ばされる監禁されるは日常茶飯事、
本気で「殺されたくない」から身に付けたルールも多いと思います。

特に人間未満の存在なのだという子供観が強調されてました。
社会の役に立たず金を稼ぐわけでもなく、起きて飯食って寝るだけ。無能で無益。
「存在自体が尊いのだ」という正しき子供観がカケラも存在しなかった頃ですからね。

私の子育てや教育も似たようなものです。本人は恨んでるだろうが関係ない。
それ以外のやり方は思いつかなかったのですから。
現在なら間違いなく児童相談所、官憲と司法、マスメディア各位をお騒がせしてた。

さて正しい子供観と人類普遍の権利が遍く周知された現代、
社会は間違いなく良くなったはず。いやいや、絶対に良くなったのです。
教育水準も遥かに高くなり情報も豊富、物も溢れてる。親御さんも立派な人々だ。

暴言や暴力でしつける、ですと? とんでもない。人間には言葉があります。
小さな子供にも立派な人格があるんです。話せば分かるのです。あきらめない。
罰を与えるんじゃなく、認めてほめて励まして支えて、一個の人格を大成させるの。

……さて、私の言いたいことは分かる方には分かっていただけよう。それで充分。
A先生に殴られB先生にビンタされC先生に投げられD先生にタバコでヤキ入れられた。
私は未だにこの方々を恩師と崇めている。それは私が異常者だからなのです。




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