Nicotto Town



なあなあな日本のワタシ


なあなあ、あいまい、先送り、やっつけ仕事に弥縫策、裏取引に、のんしゃらり。
世間様が御心にかけられたる「日本」ってものを考えるうえで、私としましては、
上記のような態度保留・旗幟不鮮明なゴニャゴニャ状態を大切にしてほしいと思うのです。

例えば伝統文化と風土に根差した美意識を考えてみてもですね、
大陸からの影響をモロに受けた中で独自色を出そうとした混淆物だと思うのです。
政治制度にしても、文化にしても。無から有は生まれないと思うのですよね。

ダラシナイ(褒め言葉)宗教観も然り。原始的汎神教と国策神道と大乗仏教の混淆物。
コレって本気で誇るべき「ダラシナサ」だと思うのです。折衷主義の極致ですね。
お前はお前、オレはオレ。それでも近所付き合いはする。なんか理想的だと思う。

排他思想はあるけど、雑食主義と好奇心がそれを上手く緩和してるトコも偉い。
政治史でよく言われる二重構造(神と人)を、建前と本音としてバランスを取った。
差別の歴史と並行して融和的な動きだってあった。しかも法制度に頼ってない。

幕末以降の近代化をやたら持ち上げる動きも目につくようになりました。
コレね、民衆のダラシナサとなあなあ精神がなかったら無理だったと思うんです。
権威に唯々諾々と従う国民性だと思われてるが、実は依怙地さも大変強い。

戦後失われたものって、こういうダラシナサへの寛容だと思うのですよ。
利潤を求めて世界と戦うオシゴト界は仕方ないかもしれません。金儲けは大切だ。
でも政治とか思想の面では、なあなあであいまいな、内股膏薬的態度も必要では?

こういうお話をしますと、何でもかんでも一緒くたにして語るな!とお叱りを受ける。
細分化して論点を明らかにすれば必ず態度は明確にできるのだ、と仰る。
うーん……あのですね、そこで必ず捨象・フィルターが働くんですよ、人ってのは。

右顧左眄しつつ、態度を明確にせず、アチコチから非難されつつしぶとく生き残る。
こういう態度は右派からも左派からも軽蔑され反省と改善を求められます。
いえいえ。そうしないと色眼鏡で物を見ることになるんじゃないですか。それはイヤ。

情報に事実も虚偽もあったもんじゃない。全ての情報は等価だと信じますです。
極端な排他主義も、ヒステリックなマスメディアも、自主憲法制定も護憲派も、
全て等価だと考えないとマズイと思う。情報の選別や拒否は一番怖い。

「好き嫌いせず全部喰え」という幼児教育を受けて育ちました。
確かにその通りです。好きなもんばかり食ってると歪んでくる可能性が高い。
今問題なのは、「如何にして嫌いなモンを定期的に喰うか」の方法論でしょう。

嫌いなモンにも喰えるトコがあったりします。喰えるようになることもある。
私の本質が変化することもあるし転向することもあろう。それは恐れない。
敢えて言えば「多様性とは可能性である」という命題を信じるか否かなのでしょう。

そうだ書き忘れた。自分の一面を正確に認識してくれている存在とは何か。
この質問に対して私は「敵」という一語を挙げることにしています。
自分を否定し抹殺しようとする勢力。その「存在」すらも尊いと信じます。




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