Nicotto Town



死生観の変化 無常観の喪失


洋書の影響で『生きがい』という語が外国で注目を集めているという。
趣味、特技、収入、社会的ニーズの4つの重なりが『生きがい』だという。
これについて荒俣宏が興味深い発言をしてくれた。

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『生きがい』という言葉が市民権を得たのは戦後ではないか。
戦前は「如何に死ぬか」が切実な問題であり、「死に甲斐」を意識し人生を過ごした。
死を意識するという非生産的行為を「生」と置き換えた結果が『生き甲斐』だろう。

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なるほどと思い、21世紀に顕現したこの国の不可逆な変化にも納得ができた。
プラグマティズムと合理主義で翻訳された日本文化が世界を席巻し、
日本人はそれを止めるどころか、新たな解釈を信奉してしまうのである。

をかし、あはれ、侘び寂び、武士道、粋、けれん、奥ゆかしさ……
無常観を甘えの一種と捉えた土居健郎に反発するものは多かったが、
彼らは間違っていた。土居の解釈のほうがよほど海外に受けるのである。

バンドやりつつ死生観と無常観に傾斜していた私には到底許容できないが、
無常すら欧米的論理で分析・解釈されるのが当たり前の時代である。
本来思想とは皮膚感覚で『岩にしみいる』如く長期に渉り体感するものだ。

不可逆な変化の明白な原因を二つ挙げよう。
『感化』の場としての家庭の崩壊、『教育』の場としての『学校』の機能不全。
政府や役人に責任はおそらく、ない。某国的な経済至上主義に盲従する大衆の責任だ。

二点については稿を改めたいが、『言語』の変質についても触れねばならぬ。
日本語も決定的に変化した。大脳の構造にも影響を与えているはずだ。
大脳というハードにインストールされた言語が異なっていれば、それは異人種だ。

幼児を見るがいい。自己主張と感情的主観、正解を貪欲に求める疑問のみを発する。
子どもの権利やら、個の尊重やらで毒された保護者も社会もこれを許容する。
成長してできあがるのは、私の知る「日本人」と似て非なる人種である。

こどもとは扶養されるゆえに権利を制限されるべき存在である。
生産性皆無の消費だけの生物なのだから、権利主張の前に義務を遂行しろ。
疑問を抱く前に指示に盲従し、そこから学べ。無理なら殺すぞ。

世から糾弾を受けること間違いなしのこういう論法が「子育て」の基本だった。
人様に迷惑をかけない存在としての個体を創りあげるのが家庭の義務であり、
ただのヒトを人間に作りかえるため、不条理も蹂躙も暴力も日常茶飯事だった。

自己主張の抑圧体験が日本的感性の根底のひとつにあると主張すれば、
健全な思想の持ち主や良識家はどう思うであろう。賛同するかもしれぬ。
「その通り、そうした封建的思想を排除するのが21世紀の日本なのです」

封建制はそもそも誤りか、過ちか? これもまた仮説の一つに過ぎぬ。
世界宗教を基にした各種思想も仮説のひとつなのである。
仮説から好みのものを選び、人生を賭して全うするのが個人主義の本質だ。

……ウー、散らかった。日本の不可逆な変化、と表記してますけど、
私はそう思いたくはないのです。やはり『和』のこころは残ってほしい。
しばらく散発的に、死生観と無常について、つらつら投稿する予定です。




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