Nicotto Town



無常を教えてくれた金胤奎


※良識人が使うべきでない差別用語が頻出することをお断りします。

当時、暴走族やグレ学生の好んだ度胸試しに、高校の制服で中華・朝鮮学校に赴き、
強そうなヤツに罵詈雑言を浴びせ石など投げて帰ってくる遊びがあった。
被害者側は数週間、集団で犯人を捜し袋叩きにしに来たものだ。懐かしい。

日本語の質と量という問題は別稿で論じねばならないが、
日本語で思考し意思疎通する者は日本人であるという仮説を私は信奉したい。
出自や遺伝学的形質は無関係、思想信教や文化は後天的なものと考えるゆえに。

私の死生観と無常観形成に影響を与えた一人が金胤奎という元朝鮮人である。
彼は純粋な朝鮮人であり、終生出自を隠して世を去り、没後数年を経てこの事実が公表された。
調べ上げ公表したのは、彼の臨終にも立ち会った彼の同業者・親友である。

金胤奎を国文科の卒論で扱った酔狂な学生は私が最初で、間違いなく最後であろう。
優しいT教授は就職の決まっていた私へのはなむけに優を下さった。
あの150枚で正しかったのは一点だけである。金を日本文学と扱った、その一点においてのみ。

作家としての金は中世に傾斜し、川端康成や井上靖等の『精神的孤児』に共感を示した。
中年以降は保守層の著名人と頻繁に交流し、それをエッセイにもしている。
文学者の変節・転向といった類の振舞を非常に嫌い、批判する攻撃性にも満ちていた。

滅びの美というのは彼の作風を評する常套句である。消え際、散り際の放つ光芒。
美の本質とは儚さ、もろさを隠そうとする『ツッパリ/強がり』ではないかと夢想すると、
この仮設は金胤奎の生涯にも重なり、一層趣を深くする。

金胤奎の日本名は立原正秋という。私は上記の事実の殆どを知らず国文科に進み、
自らを日韓混血とする彼の言を鵜呑みにし、全集刊行直後に卒論を提出した。
混血を前提とした卒論の全ては無駄であった。今書き直すなら1000枚は書けるだろう。

立原正秋の最高傑作は、疑いもなく彼、立原正秋という日韓混血の直木賞作家である。
臨終数日前まで架空の生を生きた、生きざるをえなかった彼の成功と懊悩を思うたび、
彼が『無常観』を体感させてくれた大切な『日本人作家』だと言い切ることに誇りすら抱くのだ。

以上の内容に関心を抱き、立原を読もうとするなら、渡辺淳一的な同工異曲の作品群は不適である。
立原は『冬の作家』と称賛されることがあった。心象風景がつねに冬なのである。
よって私が勧める作品群も、無常と冬がテーマとなる。

『剣が崎』 この作品で芥川賞を取れたなら、彼の人生は大きく異なったはずだ
『冬の旅』 新聞小説として書かれたが、主人公の少年は金胤奎としての立原に重なる。
『冬のかたみに』 仮構としての立原の人生を金胤奎と擦り合わせようとする晩年の代表作。
『秘すれば花』 随筆集。今思えば、彼が李朝白磁に惹かれた理由が腑に落ちる。

尊敬する立原正秋の出自を揶揄し、業績を貶める意図は皆無である。
立原を好む方、立原のご遺族の方々を傷つける意図もない。
彼は紛れもなく日本文学者の一人として批評すべきだ。だがその機会は日本から失われるだろう。

中華思想を嫌悪し半島人を蔑視し、チャンコロ、チョンコウを差別する意識は私も持っている。
また、私が愛する戦後文学、芸能、音楽の多くを在日の芸術家が遺したことも認識している。
この矛盾こそが、私の無常観を形成する基盤となっているのである。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.