Nicotto Town



即興演奏、デレク・ベイリー



即興演奏やってます、というと全ての人が調性音楽の枠組みで理解する。
クラシック好きは教会のオルガンソロやヴァイオリンのカデンツァを思い浮かべ、
ジャズ・ポップ好きは和声進行に乗せた変奏、所謂アドリブのことだと考える。

勿論正しい。どれも即興、インプロヴィゼーションである。
パイプオルガンの即興演奏コンテストは聴いて飽きないし、
ビバップ以前のジャンゴ、ベニーグッドマン等のアドリブだって愛聴している。

集団即興に興味を抱くバンドマンに最初に聴かせるのは、
だいたいの場合MICのアルバムになる。マイクと読んではいけません。
Music Improvisation Company。69年から71年頃に活動したユニットである。

シャリコマに飽き飽きしていたイギリス人ギタリスト、デレク・ベイリーは、
音楽学校で古典音楽を勉強していた学生ベーシスト、ギャビン・ブライヤーズと、
アメリカのジャズに傾倒していたドラムのジョン・スティーブンスと共にトリオを組んだ。

ジョセフ・ホルスブルックというトリオは1965年ごろから数年活動し、解散する。
その後ベイリーは完全即興演奏を行うユニットとしてMICを始める。
音源は数枚しか残っていない。解散後ベイリーはソロ活動を本格化させる。

70年代末だろうか、BBCの依頼でベイリーは各界の演奏家にインタビューし、
番組放送後、即興演奏に関する自分の意見を大幅に付け加えた書籍を出した。
『Improvisation』、即興に興味のある演奏家なら必ず読んでいる本である。

この本の面白さの一つは、即興演奏家の主義主張が全くといっていいほどバラバラな点だ。
クラシック、フラメンコ、インド音楽、ロック、ジャズ……即興の方法論も様々。
ジョセフ・ホルスブルックやMICの元メンバーが当時を振り返る部分が特に興味深い。

例えば『タイタニックの沈没』で有名になるギャビン・ブライヤーズは、
トリオ末期のライブの際中にこう思ったことが契機となり、即興をやめたという。
即興では自らが投じた位置までしか行けないが、作曲ならその限界を超えられる、と。

MICにはヒュー・ディヴィーズが照明と音響効果担当で参加していた。
彼は狙いをつけた共演者の期待を裏切り続けることに即興の意義を感じ、
それが成功したときの音楽的エネルギーの高まりや緊張感を重視していたと語る。

一方、循環呼吸奏法で有名なサックスのエヴァン・パーカーもMICメンバーだが、
MICの体験で最も役立ったのは、どんなヤツとでも共演できるようになったことだと言う。
ディヴィーズへの皮肉ではなく、本音で言っているのが彼らしい。

やはり元MICのジェイミー・ミューアは、音楽の秘教化を拒否する部分が強い。
冷めた視線を虚空に据えたまま縦横無尽に叩く彼のプレイは非常に知的である。
ゴミやガラクタを昇華させることなくそのまま全力で提示するのが彼の即興である。

ホルスブルックのジョン・スティーブンスは、即興とは思想の一つであり、
技術として習得できるのであって、啓蒙も有意義だと考えてSMEを始める。
カンパニーやFMPと異なる、非常にイギリス的完全即興ユニットである。

即興とは99%精神の問題である、というベイリーの言葉は有名になった。
フリーインプロヴィゼーションには、古典的楽器修養は必要なのか?
明言していないが、ベイリーはおそらく是と応じるだろう。ここも面白い。

ベイリーの初ソロ『Solo Guitar』を聴いたとき、凄く安心したのを思い出す。
情報でしか知らなかった、鋼と形容されるベイリーの演奏は、
私が脳内で鳴らし、実際に取り組んでいた音像と見事に一致していたのだ。

近年、和声進行を基にした即興演奏の技術は著しく向上している。
有名なバークリーのおかげである。トレーン/エバンスを徹底的に理論化し、
ポストコルトレーンサウンドを演る『技術』を誰もが身につけられるようになった。

バークリー系の音楽家は、フリーキートーンすら技術論として解決してしまう。
アイラーのようなフリーキートーンを出したければ、体に力を入れず、
マウスピースは唇に軽く咥えて、こんな風に……ほら、できたでしょ?

バークリーが育てるのは職業/商業演奏家なのだから、これもまた正しい。
ベイリーはこうした音楽を拒否し、背を向けたまま世を去った。
精神の自由な飛翔の等価物/写像としての音楽、それがベイリーの遺したものであろう。




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