Nicotto Town



己が耳の保守化を嘆く


今聴いてる大友良英の番組、前半で狭間美帆の特集、後半は新譜案内。
うーん困った。好みじゃないの一言で片づけるのは怠惰な気がする。
様々考えたんですが、自己を徒に正当化する言い訳しか考えつかん。

山下洋輔がプッシュした頃から狭間美穂の名は知っており、幾つか聴いている。
自分が脳内で勝手にカテゴライズしているジャズ/ビッグバンドというものと、
大きく隔たってる。21世紀のビッグバンドなんですかねーとしか言えない。

大友との対談で興味深い話が出た。プレイヤーとコンポーザーの話。
コンポーザーとして譜面を眺めアレンジするミュージシャンの演奏と、
単純にその場でエイヤッと片づけるミュージシャンとを比べると前者が好みだと仰る。

全体像の見える演奏が好みだという話を聴き、ナールホドと腑に落ちた。
個人的な体感では90年代以降、音楽というものをトータルパッケージで捉えるのが
一般化し普遍化しているように思うんです。プロダクション、ってやつでしょうか。

完成形や理想型を常に意識してステージに立つ演奏家の一派がいますね。
現代は殆どすべての音楽家がそうなってるんじゃないかな。ジャンル問わず。
聴衆側もこの価値観をほぼ共有している。個人的には断固否定しますが。

狭間美帆の曲が、ジャズを題材の一つとした現代の器楽曲に聴こえる理由は、
このあたりだろうと思って自分を納得させた。バカバカしい話です。
こうして人は偏屈で偏狭になっていくのです。反面教師にしてくださいね。

新譜紹介でリー・モーガンのライトハウス完全版から一曲かかった。
7/8拍子を愚直にキープする『Nommo』というハードバップ的演奏。
文句なしに好きだ。何が違うんでしょ? どっちもジャズなのにねぇ。




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