志ん朝・談志・小三治
- カテゴリ:日記
- 2021/10/13 18:27:34
【お笑い】というカテゴリに入れたくないので日記として。
柳家小三治の訃報に続き生前の功績を列挙した番組や記事が多々見られますが、
彼について語る際の定型表現は次のようなもの。
・『マクラの小三治』
・真打昇進を旧来型の年功序列から実力主義に改めた
・タレント活動をせず高座一筋、もっともチケットのとりにくい落語家
落語協会会長の頃、実力主義について発言した言葉を引用するものが目立つ。
「おもしろくなくちゃね、やっぱり……」
ここだけ流され勘違いする人が殆どじゃないのだろうか。
面白けりゃ勝ち、なんて一言も言ってないと思うのです。
古語を引っ張り出して「おもしろい」の定義から始めてもよいのだが、
別の角度、業界人の言葉を借りてみましょう。
1980年初頭に、テレビと興行界の力で漫才ブームというのが生まれた。
この頃、傾聴に値する発言や行動が旧勢力から出ています。
まず萩本欽一。彼は「笑いの質が変わった」と述べ、こう分析した。
……人気のある若手が舞台に出るだけで爆笑、売りのフレーズでまた爆笑。
ネタじゃなくてね、その場にいてみんなが笑うから笑う。楽しい。
日本の笑いの質は、これ以降決定的に変わると思うんですよ……
空気の読めない人間を嫌い、同調圧力と協調性を一緒くたにした現代、
萩本の予言は的中しています(『国際化』も関わるというのが私見です)。
前歯剥き出し口角吊り上げた肉食獣の笑顔の氾濫を人は国際化と呼んでいます。
中原弓彦も同時期に嘆いている。知的な笑いが衰退し低俗なものが大半を占めた。
内輪ネタ、客・仲間芸人イジリ、アドリブという名の考えなしの条件反射……
徹底的に作りこんだ笑い、芸の高みを目指す話術も衰退を辿っている。
排泄物の名を大書した子供用教材がベストセラーになる現代ですから、
日本語や品位に関する伝統は既に失われ、そこにあった情趣も顧みられない。
ボヤキばかりではいけませんね。『芸人』三名の話にしましょう。
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落語を知らない人に、落語とはこれだと伝えるなら志ん朝。
落語を古臭いと敬遠する人に、古臭さのかけがえのなさを伝えるなら談志。
落語や芸道を志す人に、参考として見せるなら小三治。
こんな気がするんです。まず志ん朝は一言、天才というのが妥当でしょう。
志ん朝の落語を見聞きしてダメなら、生涯落語と無縁でいいとさえ思う。
江戸前の落語をこれ以上ないほど正統に演じ、そして面白い。圧巻です。
談志を鬼才と表現する人がいるけど、ちょっと異論を唱えたい。
戦前の、古臭い、黴の生えた日本人の情緒や皮膚感覚を彼は誰より愛していた。
実はそこを、誰よりも話したい。でも現世に腹を立て頻繁に脱線する。
談志の『芝浜』終盤、女房の告白の部分で思わず泣いたことがあります。
今思うと彼の熱演は、男女同権や家長制度/大家族制崩壊によって失われた、
現代女性から見れば犠牲者の代表みたいな魚屋の女房を讃美していたのでしょう。
さて肝心の小三治はというと、彼は天才でもなく鬼才でも異才でもない。
没後動画を見て考えたんですが、落語という伝統を学び、研究し、
それを後世に伝えるため、正統であらんと努力し続けた秀才ではないか。
彼の芸風は『噺』をそのまま演じる、一種の客観化を重視したようです。
志ん朝は『面白い落語』を具現化し、談志は落語の噺を支える伝統を愛し、
小三治は落語の『芯』を究めようとしていた……そんな違いがある気がします。
「おもしろくなくちゃね……」という彼の言葉、誤解されそうですよね。
ギャハハヒハハと笑わせるネタや動きのことなんか、小三治の頭にはありません。
定評あるマクラで常にボヤいたように、知的であることを暗に客に求めた。
おもしろし、とは、知的驚きにハッとして俯いていた顔を上げるさまです。
「笑いに携わる芸人は知的でなきゃいけませんや」というのが彼の本心でしょう。
後には「それなのに、見て御覧なさいや、あっちもこっちも……」と続くはず。
意地悪い言い方をすれば、寄席に話を聞きに来るお客様方の、
知的スノビズムをうまくくすぐり、その意図が伝わることでも喜ばれた。
本題の噺は正統派ですが、志ん朝や(好調時の)談志の出来には今一歩……。
三人とも1930年代生まれ、幼少期に終戦を体験し戦後教育を受けた。
だが弟子入りしたら旧態然とした厳しい徒弟制の世界。そこで学んだ。
彼ら以前の名人がそこら中で活動し、エノケンもロッパもいた時代です。
笑いの変質はもちろん言語の変質、ひいては国民性の変質です。
「美しい国、日本」「成長と分配、新しい資本主義」大いに結構です。
落語が遺す古の風俗が継承に値するかを決めるのも彼等と貴方なのですから。
ご閲覧感謝。志ん朝は素晴らしいけど、おそらく一番好きなのは小三治です。
若い頃からあの顔、苦虫の嚙み潰し方の手本みたいなへの字口、
これぞ日本の偏屈親爺という風情が、まあ、たまらないといいますか。
全面的に納得、かつ面白い投稿でした!