Nicotto Town



9月9日は阿部薫の命日である。



半世紀近い年月が経過し、主にネットのおかげで、
阿部薫というミュージシャンに関する情報は容易に得られる。
そこら中で伝説となっている。おそらく阿部は悦んでいるだろう。

阿部ミーハーでもなければ面識もなく、生も聴いていない。
当時すれ違った人々と交流を持ったこともあるが、
もちろん毀誉褒貶さまざま、というよりもかなり嫌われていた。

若くして死んだから、遠藤ミチロウみたいに過去を自省することもない。
だがそれでよい。而立を前に薬物過剰摂取して胃穿孔で死んだバカである。
その事実は阿部薫の遺した音楽と密接に関わり、また何の因果もない。

薬物にハマる前の70年代前半の演奏を褒める声が多いのだが、
一部に晩年の阿部を愛する人がおり、私も同様である。
困ったことに音源が大量に溢れており、動画サイトで映像も観られる。

阿部薫未聴者に老爺心から無用な忠告をしておきたい。
検索結果で得られた音源や動画を視聴して阿部を知ることは誤りだ。
阿部薫とは、ある志に囚われた一部の人々の人生を決定的に変える劇薬である。

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オリジナルLPとはいいません。せめてCDは買い、スピーカーで聴いてください。
最初に何を買うべきかと訊かれたら即答しましょう。
比較的安価に手に入る、DIWレーベルの『阿部薫/ラストデイト』です。

逝去の十数日前に札幌の『街かど』という喫茶店で演った記録。
アルト、アコギ、ハーモニカのインプロがそれぞれ一曲ずつ。
アコギはベイリーっぽさが強く微笑んでしまうんですが、他は天衣無縫。

冒頭、鋭く切れ込んでくるアルトで魂を持っていかれなければ、
即座に中古屋かメルカリで売り飛ばすのが正解。そういう音楽です。
数十秒音が止み、固唾をのみ呼吸を忘れる、至高の29分30秒。

ハーモニカってブルースハープやトゥーツシールマンスが普通でしょ?
#3を聴いてください。阿部の白鳥の歌と断じたいくらい好きです。
ハーモニカゆえ調性が明確、だが誰もこんな音楽は創れなかった。

素晴らしいと感じ次を探すなら、書籍をお勧めします。
1989年に出た『阿部薫覚書』という絶版本。探せばあります。
『阿部薫1949 - 1978』よりも熱く哀しい想いが濃厚なので。

次に聴くなら『The Last Recording』が良いと思います。
『ラストデイト』の翌日に室蘭で録られた16分ほどのアルトソロ。
前衛/フリー奏者阿部薫の、強力無比な典型的スタイルの片鱗が判ります。

本来はこの後『彗星パルティータ』『なしくずしの死』を勧めるべきだし、
高柳昌行と闘った『解体的交感』『集団投射』『漸次投射』、
吉沢元治との『NORD』等のハードなものを聴くのがよいのでしょうが……。

間章の尽力でミルフォードグレイブスやベイリーとも共演しました。
だが間章が永続闘争者としての阿部薫を評価したことは、
残念ながら阿部の可能性/成熟をスポイルしたのでは、という気もします。

共演した高柳は歌心を堪能できる名盤『Lonely Woman』を遺したが、
阿部にも素直に歌い上げたスタンダード集を遺してほしかった。
高柳や吉沢あたりが阿部のリリシズムを認め、説得し、一枚作っていたら……。

阿部薫のリリシズムというべき、脆く儚い美しさを知ってほしい私は、
DIWの『Solo Live at 騒』全10枚のどれかを手に入れていただきたい。
共演者が演奏を終えようとすると壮絶に吹き始めた阿部とは別の姿が見えます。

破天荒でフリーキーな超絶リードプレイヤーというだけではない。
いやむしろ、そういう青春で自らを鍛え戦い苦悶し鬱屈したからこそ、
阿部薫の音は、ある人々には必ず伝わる壮絶な美しさを備えている。

阿部薫、1949年5月3日-1978年9月9日、享年二十九。
坂本九の甥であることを知ると、どこか納得しちゃう人もいそう。
日本の生んだ空前絶後、不世出の音楽家の一人をご記憶ください。




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