Nicotto Town



社会を見るとは 学びではなく 習う過程である。


今回のブログのお題『行ってみたい社会科見学』を読んで考えた。
私は若い頃から金だけのために働くという思想を叩きこまれた。
見たいものではなく、金になる現場に身を投じた。エコノミックアニマル。

肉体労働系だと現場片付け、引っ越し、左官や大工の使いっ走り。
どの現場にもスゴイ人たちがいる。10代の私がヘロヘロなのに皆バケモノ体力。
とにかく見たとおりに真似るだけ、失敗すれば足や拳固が日常茶飯事。

室内系だと各種店員、厨房やホールも長かった。
鍋ひとつ満足に洗えない、包丁の持ち方間違えて背中から蹴り倒される……。
いやー、恥ずかしくなりましたねー。ホント自分って何もできないって分かった。

アヤシイ歩合制営業や訪問販売もやった。こういう仕事もスキルと真剣さが必要。
契約ゼロ、夜の反省会に出た私の前には、1日で3本獲った年下のヤツが。
オレって何やってんだろ。社会で無価値だ、無意味だ。つくづく痛感。

金を稼ぐ、ってのは勉強して身に付くものではない気がする。
誰も教えず、無心に真似て出来るようにするだけ。意味はそのうち分かる。
分からないヤツはその業界から去っていく。そんなふうに世はできていた。

無意味な仕事なんてどこにもない、ということもしみじみ味わった。
採用初日、一日書類シュレッダーとか、冬の氷雨の中Yシャツで入口に立つとかね。
そこでキレなかったのはなぜか。これが『金を得る』ということだと考えたからだろう。

社会科見学に関しては、興味の持てない仕事をこそ見てほしいなー。
廃品回収業に1日張り付くとか、駅の化粧室清掃とか、スーパーの警備誘導とか。
仕事というものがどれほど過酷で、どの程度の真剣さを必要とするか体感してほしい。

仕事の良いトコばかり、創造的専門的技術職ばかりもてはやされる現代だが、
世の99%はそうしたお役所的綺麗事理想論から遠く隔たっている、と思う。
社会という哀しい有機体が経済で動くことを爺世代は体感している。

どの個人の人生も価値も本質的に等価だと思います。
懸命に働いたら、大臣だろうがバタ屋だろうが時給は同じであるべきだとも思います。
職業や収入で人を区別することだけは避けてほしいなー。うー、爺の繰り言。




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