Nicotto Town



レム『地球の平和』を凡作と感じた理由



偏屈で曲解と誤読が信条のオールドファンとして、
『地球の平和』を凡作と受け止めてしまったわけですが、
その過程を誠実に書くのもファンとしての責務/礼儀でありましょう。

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レムを読むなら『無敵』『ソラリス』『航星日記』で親しみ、
『捜査』『枯草熱』『天の声』『GOLEM XⅣ』と進めつつ、
ロボット物やピルクスシリーズ、『完全な真空』『虚数』にも手を出す。

この結果できあがるレム像というものはどのようなものか。
コミュニケーションの不可逆性と原理的不可能性、
知性の限界、イデオロギーや思想の相対化と無価値さ……あたりじゃないかな。

戦後文学と反戦文学というのは混同されがちですが、
レムは反戦文学など一切書いていない。かれは戦後文学者の一人である。
日本の第一期戦後派や『近代文学』同人と同根で論じるべき作家ではないか。

戦中に骨の髄まで染み込んだ、戦時の人間と自己の本質への自覚と絶望。
故に我々は社会や体制に帰属せず、個として他者を傷つけず、
他者から傷つけられることを避ける、怯懦で狡猾な生を送り、自嘲するのだ。

……上記のようなことを妄想するわけです。レム=戦後文学という邪説。
不可避の悲惨な天命から、人類は如何に逃避し絶望をを誤魔化すべきか。
そのための唯一のツールが知性。知性とは希望ではなく逃避の手段。

レムお得意の言語遊びはシュールレアリズムの自動書記に酷似している。
ブルトン達が目指した方向と正反対の道をレムは選んだ。
どの著作にも現れる論理の構築と飛躍、言語遊戯は全て哄笑交じりの現実逃避。

……モノスゴーク叱られそうだな。でも実感なのです。
戦争や全体主義、管理統制に抗う術を持たぬ弱者はどう生きるのか、
その一例を身を以て示したのがレムである。だから好きなんですが……。

さて『地球の平和』。端的にいうとレム創作のベスト盤です。
大昔の人気バンドが金と自己満足のため再結成して往年の名曲演るでしょ?
あれと同じような読後感なのです。とにかく旧著からの借用が多すぎる。

ネタバレ大嫌いだから一切挙げませんが、これ、一種の二次創作です。
コミケで売られるアニパロ同人誌を作者が書いた、といったら貶し過ぎかな。
もちろんファンならそこそこ読めてそれなりに楽しめる。だが残らない。

メインアイデアの一つ、カロトミーについて褒める書評がそこら中にある。
どうなんでしょう……ギルバートゴッセンの予備脳、『ジャンプドア』シリーズ、
シェフィールドの『マイブラザーズキーパー』等々を楽しんだ私には凡庸だった。

結末が容易に予想できてしまったのも減点対象。いつもの手じゃないか。
直後に書かれた『大失敗』は文句なしにレム晩年の大傑作ですが、
『地球の平和』はリハビリとして書いた習作なんじゃないでしょうか。

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……珍しく貶しまくりました。21世紀的メンタリティで読めば、
結末を含め肯定的な評価が多くなるのも理解はできるのですが、
『戦後』の『昭和』でレムを享受した者としては、星を与える気がしない。

この作品を肯定する方々は『新たな戦前世代』であろうという妄想すら抱く。
だが東西冷戦いまだ冷めやらぬ時期に書かれたこの本を、
やはり私は戦後文学として捉え、凡作としたい。レム読むなら最後にすべき一冊。




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