Nicotto Town


☆ごま日記☆


原爆の話

昨日は原爆の日でした。

昨年の8月末に被爆した祖母は
98歳で亡くなりました。
今年は初盆です。

原爆慰霊碑の記帳に名前が入りました。

その祖母ですが
原爆が投下される4日前に父の姉(叔母さん)を
出産していました。
叔母さんは3年前に亡くなりました。
出産後、たまたま広島の段原と言うところに実家があり
比治山と言う山の裏になっていたため
怪我もなかったそうです。
でも家の窓ガラスは全て壊れ、吹き飛ばされたと
本当に原爆資料館の展示物そのままだったそうです。
そして6日にすぐ祖父の実家の山口へ行ったそうです。
これが運がよかったようで6日の午後はまだ
列車が動いていたそうです。
(祖父は国鉄の職員でした)

叔母さんはこどもの頃から身体が弱く
50歳でパーキンソン病にかかりました。

祖父は84歳まで元気でした。
私の父は被爆二世になりますが
64歳で亡くなりもしかしたら影響があったのかも
しれません。兄弟の中で一番早く亡くなりました。

この話を聞いたのは中学生の頃でした。
夏休みの作文で被爆体験者から話を聞くことが
できればと言うことだったので
うちは祖父と祖母がいたので聞きました。

原爆を体験した祖母は一言で言うと
「強い人」でした。
そして人の悪口は絶対に言わない人でした。
いつも冷静で動揺しない感じでしたが
父の病気が分かった時は裏でかなり
落ち込んでいたと母は言っていました。
私たち孫の前では常に冷静でした。

アバター
2022/08/09 06:18
今、ごまさんが生きているのも運が良かったのですね。

お祖母様はかなり酷い状況を見られたのでしょうね。
その中を生きていらしたのだから
強くならないといけなかったのかもしれないです。

私は祖父と離れて住んでいて戦争の話を聞いたことがなくて。
貴重なお話でした。ありがとうございました。
アバター
2022/08/08 23:43
貴重なお話をありがとうございました。
なかなか聞く機会がないので心にしみました。

私事。祖父母から戦時中の話をあまり聞きませんでした。
いま、後悔しています。もっと聞いておけばよかったな・・・と。
父の誕生日が、昭和16年12月8日。
祖母は、産院のラジオで開戦の知らせを聞きながら出産したとか?聞いた事はあります。
父は疎開を経験しているので、酔っぱらうとその時の話をしてくれます。
大変な時代だったんだな・・・と。

色んな事を先輩から聞く事は大切な事だと。感じています。
父も80歳を超えているので、いつまで聞けるかわかりませんから・・・

アバター
2022/08/07 21:45
自分は祖父の記憶がないです。父親の方は自分の生まれる前に亡くなっています。
母親の方は自分が3歳ぐらいの時に、それも実家が離れているのであったことはあるみたいですが。
記憶はないんです。
アバター
2022/08/07 20:56
私の祖父は特攻隊の生き残り…と言うか、入隊の日に終戦になったそうで、(自分では逝き遅れと言っていましたが)あの時代の方々は強い方が多いですよね。
アバター
2022/08/07 20:00
そうですか・・・
激動の時代生きてきた方々は胆力があったように
感じます。
平和を望みたいものですが、それは希望に終わって
しまうかもしれません・・・
話は飛びますが金曜から崩していた体調が戻らないので
明日は有給取ることにしました。まぁいい骨休めです。
アバター
2022/08/07 17:37
非情かも知れませんが、人間の世界でも弱肉強食で有ることは変わりません。ガキの頃に憲法九条や反核を植え付けられましたが、現実を見ると「暴力」以外は己すら護れない事を思い知らされました。



カテゴリ

>>カテゴリ一覧を開く

月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.