■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(6)
- カテゴリ: その他
- 2009/02/13 15:41:29
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 三(3)
更に一つは、義務とか理想とかの爲に、人間が機械となる場合がある。唯何とはなしに、爲なくてはならないやうに思つて爲る、たゞ一念其の事が成し遂げたくてする。斯んな形で普通道徳に貢献する場合がある。私も正しく其の通りの事をしてゐる。併し...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 三(3)
更に一つは、義務とか理想とかの爲に、人間が機械となる場合がある。唯何とはなしに、爲なくてはならないやうに思つて爲る、たゞ一念其の事が成し遂げたくてする。斯んな形で普通道徳に貢献する場合がある。私も正しく其の通りの事をしてゐる。併し...
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 三(2)
まだ一つある。私は寧ろ情負けをする性質である。先方の事情にすぐ安値な同情を寄せて、氣の毒だ、かわいさうだと思ふ。それが動機で普通道徳の道を歩んで居る場合も多い。そして是れが本當の道徳だとも思つた。併し段々種々の世故に遭遇すると...
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 三(1)
三
此所まで回顧して來て、何時も思ひ悩むのは其の奧である。何が自分をして諦めさせるのだらう。私に取つてはそれが神の力でも信仰の力でも無くして、實に自分の知識の力である。若し自ら僭して聰明といふことを許されるなら、...
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 二(1)
二
私は何うしたら善からうか。私は一體何うして日々を送つて居るか。全くの其の日暮し、其の時勝負でやつて居るのだらうか。強ちさうでも無いやうである。事實、自分の日常生活を支配してゐるものは、やつぱり陳い/\普通道徳...
■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 一(2)
勿論斯やうな問題に關した學問も一通りはした、自分の職業上からも、斯やうな學問には斷えず携はつて居る。其の結果として、理論の上では、あゝかかうかと纏まりのつく樣な事も言ひ得る。又過去の私が經歴と言つても、十一二歳の頃から既に父母の手...