Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(32)

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (5)

美を功利實用から引き離すといふ思想は、無論今に始まつたことではない。カントが美感の特質を數へて其の一を無利害(Interesselosig)と斷じたのが、此の思想の近世に於ける明白な發聲である。美は道徳からも實用からも獨立する、之...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(31)

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (4)

從つて美を之れと聯絡せしむる限り、美も亦たシラーに於いては人生の緊要事となり、スペンサーに於いては人生の閑事業とならざるを得ぬ。少なくとも生存といふ事を人間の第一義として事物の價値を判斷する限り、スペンサーの美は其の圈隅に押し除け...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(30)

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (3)

スペンサーの意に註解を加へて述べれば、以上の通りであるが、其の事みづからの目的を達するを必要とすると否と、乃至實際であると想像であるとの別が果たして遊戯と美との區界となるか如何といふことは、尚考究を要するとして、茲に吾人の注目すべ...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(29)

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (2)

碁を圍むといへば一の餘贅な活動で、何も是れ無くては生命が支へられぬといふものでは無い。即ち圍碁は遊戯である。併し圍碁を樂むの情は美感とは言へない。圍碁には尚ほ其の事みづからの目的すなはち對手に勝つといふ目的があり、また現に烏鷺の石...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(28)

■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (1)

         二

シラーの後、遊戯本能の説を明白に掲げたものゝ一人は、夫のハーバート、スペンサーである。彼れは其の『心理學原理』の中に、先づ「數年前予はドイツの一著者の言を抄せるものを見たるに、美感は遊戯本能(Play-...

>> 続きを読む





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.