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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|英國の俳優教育…(1)

■近代文藝之研究|時評|英國の俳優教育、新作脚本 (1)
     英國の俳優教育、新作脚本
僕等の考へる所では、是れからの俳優教育は手や足の教育ではない、頭の教育が第一だと思ふ。手や足の教育が主になる藝は、もう過去のものではないか。圓満に言へば兩方とも大事に相違ないが、時弊から言へば、主たるものは...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(5)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (5)
終りに述べるのは第三種演劇の事である。全くの理想的でも無いが、さりとて全くの通俗的でもなく、穩和な、漸進的な、いはゆる一歩づゝ進んでも二歩づゝは進まぬといふ行きかたのものが、藝術にもたしかにあり得る。而して最も安全で、無難で、それで多數者にも驩迎せ...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(4)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (4)
振りかへつて我が社會を見ると、理想劇の思はしいのが無いは勿論、通俗劇すらも其の任を果たすに足るやうなのは極めて少ない。大多數は依然として百年前ニ百年前の通俗趣味の腐朽したのを繰りかへし/\てゐる。或る少部分を除いては、理想劇として不朽の價値を有しな...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(3)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (3)
諸種の藝術中でも演劇は殊に公衆的のものである。最多數者が享け得る最大の文藝的慰樂は演劇に於いてするに若くは無い。上は文藝の士から下は殆んど酒色の外に何ものゝ快樂をも知らぬ低級趣味の人までが、演劇のみは一堂に集まつて之れを賞翫する。此に於いてか高級趣...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(2)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (2)
或は、低級趣味はすなはち改むべきもの、導き進ましむべきものであるから、之れを本位とした文藝論は無用であると云ふかも知れぬ。けれどもそんな道理は無い。高いものを味ひ得ぬ多數者に對して、さらば何物をも與へないのが至當であらうか。はた適應したものを與へて...

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