Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値(27)

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値|三 (9)

例へば夫の『萬葉』の行倒れを哀む歌に「家ならば、妹が手まかん、草枕、旅に臥(こや)せる此旅人(たびと)あはれ」とある、末句を哀れむといふ意に取れば、主觀の情が其のまゝ點綴せられ且つ節奏に乗つて流れ出たのである。其の他抒情的な詩歌乃至散文中の抒情句...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値(25)

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値|三 (7)

茲に一種捕捉し難い一般的な感情を經驗するに至る。此の一般的な情、言はゞ事後感情、混合感情とでも解すべき一種の印象を茲で美的情趣(Aesthetic mood)と呼ぶ。印象的情緒である。第四段境と見てもよい。
斯やうに見地を定めて見ると、第一第二の...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値(24)

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値|三 (6)

而して此の第三段境は更に二つに分かれる。情緒的と情趣的ともいはう。情緒的とは前來の説の如く普通種々の情緒が其のまゝ客觀に合した場合で美的情緒(Aesthetic emotion)であるが、情趣的とは、斯くの如き情緒的事象が幾何づゝでも起こつた後ま...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値(23)

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値|三 (5)

それが第三段になると審美的同情になる。即ち他的とも稱すべく、全く我れを離れて先方と同じ情が我れに起こる。妻子もありながら零落して到頭路傍の行倒れとなつた。當人の心の中は無限の悲哀であらうと普通に察せられる。此の悲哀が傍觀してゐる我等の胸に迫る。此...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値(22)

■近代文藝之研究|研究|自然主義の價値|三 (4)

而して好奇心で立ち止まるなり、急ぎ行き過ぎるなりしながら、さてつく/″\其の行倒れの身の上を思ひやると、哀れになる、又何か深い遺恨でもある者なら善い氣味と思はぬとも限らぬ、つまり同感(シンパシー)若しくは反感(アンチパシー)が起こる。...

>> 続きを読む





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.