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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界…(7)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|二 (3)

一面に右のやうな事例があると共に、他面、藝術と遊戯とを一括して實生活から峻別する思想は甞ても論じた如くスペンサー。アレン等に精彩を放つた。其要は一切吾人の活動が生活支持の機能を目的とするものであると見て、たゞ遊戯及び之れと連續した...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界…(6)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|二 (2)

若し文藝が自立して行かうとすれば唯人を娯ます手品の類と擇ばなくなる。是れがカーライルの思想であつた。此處に至つてイギリス文壇の代表思想は文藝から外れて實生活に解決を求めんとした。彼等は藝術家たるよりもむしろ史家社會經營者たるを以て...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界…(5)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|二 (1)

        二

研究の端は既に前人によつて開かれてゐるが、其の前にイギリスの思想史を見ると、夫の詩人シエレーやキーツ等に至つて極まつた十九世紀初頭のロマンチシズムは、熱烈な崇拜と耽溺とを文藝に拂つて全生活を擧げて藝術に沒入せ...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界…(4)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|一 (4)

文藝と遊戯とは他と懸け離れて無用の長物視され易い性を有する。所謂四十面を提げた髯男が眞面目に文藝でもあるまいといふやうな漠然たる不安の感を起こさせる。是れが文藝の一種特殊な性質であるとすれば、それは畢竟何を意味するか。此の點からが...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界…(3)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|一 (3)

此の意識が漠然の境を通り越すと文藝侮蔑の聲になる。常に腐儒庸俗の口から聞く此の侮蔑の聲にも本能性に似た一種の根據があると見えるのは此の故である。而して此の點で藝術と連續するものは一般の遊戯である。文藝と遊戯とは人生の閑事道樂といふ...

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