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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(34)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|九 (1)

        九

されば餘論として一言すべきは、實生活の味を識るに適しない事である。恰も近時世に出た論で長谷川二葉亭氏金子筑水氏等が唱ふる人世の味、泣かず笑わざる味といふ説は、之れを藝術に見て始めて、味といふを得るのでは無いか...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(33)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (2)

之れを反面から説明すれば、今まで右でも左でも自己の利害といふ岩石にぶつかつては激してゐた感情の浪が、其の岩石から距てられて、始めて過去經驗の一切を含蓄する自己内の人生圖の海に平衡を得た意識で、つまり一局部に跼蹐してゐた種々の心生活...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(32)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (1)

        八

藝術が消極的に實生活と異なるのは、其の我的情緒から離れ局部的快苦から離れるにあること以上の如しとして、其の積極的方面を見ると、これは最早或る度まで前來の説で言ひ及んだ氣味であるが、詮ずる所實生活から離れると同...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(31)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (6)

今一つの批難は樋口龍峡氏が他的同情を以て人間に限るものと見たことである。吾人の考へる所では、我々の情は必ずして對手が人間である場合にのみ流れ出でて先方へ附着するものではない。禽獸草木に對しても、將又全く無生なる摸樣、色彩等に對して...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(30)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (5)

例へば悲しい想ひが内に欝結する。聲を上げて號叫する、と幾らか慰められる、是れも自己の表現である。また其の欝結した想ひを人に物語つて自ら發散する。是れも自己の表現である。けれどもこゝまではまだ藝術となる深遠性も有して居らぬ。更に一歩...

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