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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(29)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (4)

元來實行の上に痛切な喜憂哀樂の感を懷くものが、何の必要があつて之れをまどろつこい藝術に托するか。何故に手つ取り早く之れを實行の上に追究しないか。こゝで今一度藝術發生の動機すなはち本能問題に立ち戻るが、それが即ち自己表現の已みがたい...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(28)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (3)

そも/\筆を執り刷毛を執つてそれを紙や布に書いてゐる餘裕が無い。感ずるところは如何に切であらうとも、いざ文にしやう、繪にしやうといふ瞬間には、そこに餘裕が無くてはならぬ。但し餘裕とは出來たものがのんきな緩んだ調子だといふのでは無い...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(27)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (2)

此の説に對して起こる非難の重なるものが二箇條あるらしい。一は岩野泡鳴氏によつて提起されたものであるが、難者の言う所によると、自己に有關心有利害な活動即ち我的情緒の伴ふものゝ外に、藝術活動は無いといふ。是れは素材としての情緒と、それ...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(26)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (1)

        七

之れに對して藝術活動は消極的には、自己の利害感と距たり、從つて其の一局部から來る快苦感と距たる。一向的でなく執着的でない。他の方面は前に論じた無關心、沒利害の思想で代表せられる。カント以來幾多の思索家が頭を支...

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■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(25)

■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|六 (4)

けれどもただ一圖に此の事を中心にやきもきと胸のみ忙しい状態に執着する、一筋途を狹く執ねく追うて行く。家に歸りついてそつと目ざす室を窺ふと、居ない筈の音樂家が深夜に正しく妻と二人きり差し向かひで居る。嫉妬、憤怒、凡て自己に有害な活動...

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