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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(19)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (19)

簡にして美なる絶好の説明批評と稱してよからう。而も之れすら「心余りありて言葉足らず」といふ推理の辭を冠するを禁じ得なかつた。文屋の康秀を評して「あき人の善ききぬ着たらんが如し」といひ「言葉巧みにて其のさま身におはず」と推理したのも、小野の小町を評し...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(18)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (18)

然るに一旦斯くの如き意識の竄入を我等の心作用に許すときは、初はたとへ半歩であらうとも、其は既に全歩を許したと同じ結果になる。我等の理知は、究極するところ事物の理由を知らんとするにあるべければ、之れを與へざる限り、其の批評は到底動搖を免れぬ。而して批...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(17)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (17)

併しながら斯くの如き批評が十九世紀の中葉以後に帶着し來たつた重要なる意義傾向は、實は此の點から始まる。蓋し批評が創作と異なる最大の理由は、其の如何なる方式に於てか一層多く知識推理の作用を有する點に存する。自然の事象に感じて、之れを文學に托すれば創作...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(16)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (16)

寛宏(カソリシチー)自由(フリードム)鑑賞(アプレシエーション)。凡そ是等のものが新批評の合言葉である。
更に之れを別の方面からいふと舊批評は自然其の判斷の標準を客觀に并べ立てるに反し、新批評は之れを單に評者の心内にあるものとして明白に標準を定立す...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(14)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (14)

十九世紀の新批評は他の創作、乃至政治社會萬般の上に見えしと同じ精神を以て、此の舊式の批評から脱出して生きたる新しき天地に入らんとする一種の自由運動であつた。從つて其の特色は古典批評の評價的なるに對して説明的ならんとするにあつた。史家之れを名づけて批...

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